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「国外での殺害を命じられる者は一人しかいません」髪は抜け落ち、口内には腫瘍が…暗殺犯の毒牙にかかった男性が明かした“異様すぎる事件”

文春オンライン / 2025年1月11日 6時10分

「国外での殺害を命じられる者は一人しかいません」髪は抜け落ち、口内には腫瘍が…暗殺犯の毒牙にかかった男性が明かした“異様すぎる事件”

©AFLO

〈 「一睡もできなかった。息が苦しい」「毒を盛られたのではないだろうか」…政府が関与を認めた“ヤバすぎる暗殺事件”の“恐るべき手口” 〉から続く

 他国に対して軍事力を使うことも辞さず、国内の反対派に対しても強硬な態度を取り続けてきたことから「独裁者」のイメージが根強いウラジミール・プーチン大統領。彼に夫アレクサンドル・リトビネンコを暗殺されたのではないかと、強い疑惑を抱く女性がいた。

 はたして、夫の身には何が起こったのか?

 ここでは、ジャーナリストの小倉孝保氏による『 プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録 』(集英社新書)の一部を抜粋。病床に伏すリトビネンコが警察に明かした暗殺計画の一部始終を紹介する。(全2回の2回目/ 続き を読む)

◆◆◆

警察による聴取

 聴取は緑茶を飲む場面に入る。警察がこの日、最も知りたかった点である。

「ミレニアム・ホテルでアンドレイとバジム(後にコフトゥン[注:注:リトビネンコが暗殺されたと思われる場に同席したロシア人]であることが判明)に会うんですね」

「そう」

 リトビネンコはこの時点でコフトゥンの名前をはっきりと知らないか、もしくは思い出せなかった。

「アンドレイ(注:アンドレイ・ルゴボイ。リトビネンコが暗殺されたと思われる場に同席した男性)がここに座れと言うので、彼の向かいの席に座った。大きなテーブルがあった。食べない。アンドレイが『お茶は好きですか』と聞くので、『はい』と言った」

 ウエイターが新しいカップを持ってきたという。

「アンドレイは『新しいカップだ』と言った。私がそそいだ、ちょっとだけ。終わり。お茶は熱くない。ぬるい。緑茶」

「緑茶ですか?」

「緑のお茶。中国茶」

 警察は確認する。当日飲食をともにしたのは、「イツ」でのスカラメラ(注:議会の情報分析官)、そしてホテルでのロシア人のルゴボイと「バジム」の三人だったのかと。リトビネンコはそのほか、帰宅後にマリーナが作った鶏料理を食べたと答えた。

 毒を盛った可能性のある者は、マリーナをのぞく三人に限られるとリトビネンコは述べた。つたない英語で念を押している。

情報を公表してはだめだと語ったワケ

「特別、この情報、公表はだめ。アンドレイと『バジム』がやったなら、KGBが管理する」

 KGBはすでに解体されているにもかかわらず、いまだにリトビネンコは秘密情報機関を「KGB」と呼んでいる。彼よりも上の世代に見られる特徴だ。

「マリオ(スカラメラ)は公表、問題ない。彼はイタリアに住んでいる。罪があるなら、逮捕される」

 ロシア人二人については公表すべきでないと訴えている。

「私、病気、あと。アンドレイを招待できる。一緒に働こうと」

 理解しづらい言葉が続く。おそらく、「回復した後、仕事を口実にルゴボイを英国に招き入れる。そこで逮捕できる」と説明している。リトビネンコは生きられると信じていた。

 初日の聴取は午前2時45分に終わった。

 マリーナはその日の正午ごろ病院に姿を見せた。普段よりも3時間ほど遅かった。

「携帯電話ショップに寄ってから病院に行きました。警察に携帯電話を預けてしまい、新しいのを買う必要があったからです」

 警察が夜中から未明にかけ聴取したことを知り、マリーナは動揺した。それほど急がねばならないのか。夫の死が近いからではないのか。

「なぜ病院のベッドで調書をとられるのか、納得がいかなかった。死んでしまうなんて思いたくなかったし、もう少し元気になってからでもいいのではないかと思いました」

 二回目の聴取はその日の午後7時24分に再開される。担当は同じく警部補のハイヤットとホアーである。さすがに英語でのやりとりは無理だと判断したのだろう。ニナ・タッパーという女性が通訳として加わった。

 このときは主に、スカラメラと会ったときの詳細を聞いている。聴取が20分を超えたころ、看護師が入ってきて言った。

「少しの間、離れてもらえますか」

 投薬の時間だった。

 リトビネンコは看護師に胃の痛みを訴える。自ら体調不良を明かしたのは、聴取開始以降初めてだった。

「すみません。胃が本当に、本当に痛みます。吐き気がする」

「すぐに薬を持ってきます」

「飲み込めるだろうか。やってみますが、吐いてしまうかもしれない」

 ここで警察は録音テープをいったん止めた。約10分後に聴取を再開しても、リトビネンコは下痢症状を訴え、トイレに駆け込んでいる。

 時折休憩をはさみ、聴取が終わったのは午後11時49分だった。

 翌19日の聴取は午後5時4分にスタートした。警察はミレニアム・ホテルでお茶を飲んだ様子を確認していく。リトビネンコはルゴボイとの会話を再現した後、説明する。

有毒物質を体内に入れて18日が経過

「砂糖の入っていない緑茶で、すでに冷えていました。三、四回、口をつけたかもしれません。冷えていたので全部は飲みませんでした。底にはまだお茶が残っていました」

「あなたがバーに入ったとき、お茶はすでにそこにあったんですね」

「はい」

「新しいカップが運ばれてきたんですね」

「はい」

「アンドレイはあなたの前で、そのお茶を飲みましたか」

「いいえ」

 警察はルゴボイたちがお茶を飲むよう強制したのかどうかを確認する。

「アンドレイはどの程度、あなたに飲むよう勧めたのですか。彼はさほど(熱心)でもなかったのですか。それとも、飲め、飲めと言ったのですか」

「彼は言いました。『もしも飲みたかったら、注文してもいいよ。でも、私たちはもう出ますよ。お茶なら、ここに少し残っている。これを飲めるよ』と」

「あなたがポットから飲んだ後、アンドレイたちはそのポットから飲みましたか」

「いや、絶対に飲んでいない」

 リトビネンコはこう強調した。

 聴取は1時間を超えた。リトビネンコの疲れが目立ってきた。問いと答えがかみ合わず、通訳を困惑させる。やりとりはロシア語である。英語力の問題ではない。彼の思考力は落ちていた。通訳はこんな風に問うている。

「ちょっと待ってください。ちゃんと理解していますか」

 午後6時半に聴取はいったん、停止される。リトビネンコが「口をゆすぎたいので、5分ほど休憩を入れてもいいですか」と言ったからだ。

 隣の部屋に待機していたマリーナは休憩のたび、夫に呼ばれて世話をした。夫の髪は完全に抜けている。有毒物質を体内に入れて18日が経過していた。リトビネンコの生命のタイマーは赤いランプがともり始めた。

 この日の聴取が終わったのは午後8時5分だった。

殺害を命令できるのはプーチンだけ

 20日の聴取は午後4時33分に始まった。マリーナは帰宅までにまだ時間があり、初めのうちは同席している。体調が急激に悪化しているためか看護師が横についた。

 警察はミレニアム・ホテルから帰宅後に症状が出るまでの様子について聞いた後、事件前日(10月31日)の行動を確認する。

 どんな質問にも積極的に答えていたリトビネンコがここで証言を拒み、警察を困惑させた。

「31日午後4時ごろ、私はある人に会いました。ただ、その人の名は言いたくありません。約束だからです」

「その人と会ったんですか」

「はい」

「それなら名前を教えてもらわねばなりません」

「電話番号を言いますので、直接本人に聞いてください」

「どこで会ったのですか」

「ピカデリー・サーカスにある(大型書店の)ウォーターストーンズのカフェです」

「予定された会合ですか。それとも偶然?」

「電話でやりとりした後、約束した会合です」

「何か食べたのですか」

「彼はコーヒー、私はホットチョコレートを飲みました。それと小さなクロワッサンを食べました」

 相手はMI6の人物だった。リトビネンコは体調が悪化し、死を意識せざるを得ない状況にあっても信義を守ろうとしている。ロンドン警視庁とMI6は普段から、緊密に連絡を取り合っている。MI6はソ連のKGB、ロシアのFSBやイスラエルのモサドのような強制力を持たない。あくまで諜報、防諜に徹し、容疑者の逮捕など強制力を必要とするときは警視庁の力を借りる。そのため両者は想像以上に情報交換している。

 ロンドン警視庁はその後、リトビネンコが会談した人物を容易に特定した。

 最終日の聴取もすでに3時間を超え、終わりに近づいた。ホアーが、「あなたを傷つけたいと願った人物に心当たりはありますか」と聞いた。「殺人」や「殺す」という言葉を使わず、「傷つける」と表現した。リトビネンコはきっぱりと答えた。

「疑いがありません。ロシアの秘密情報機関です。私はその制度について知っています。国外での殺害を命じられる者は一人しかいません」

 続けてハイヤットが聞いた。

「その人物を教えてもらえますか」

「ロシア連邦大統領、ウラジーミル・プーチンです」

口内に腫瘍ができ、声も出にくい状態で絞り出された“願い”

 ハイヤットが最後に言っておきたいことはないかと問うた。リトビネンコは口内に腫瘍ができ、声も出にくかった。それでも彼は「少しだけいいですか」と断り、発言した。

「きざな政治的声明だと思わないでほしい。ご存じのように私は先月、英国籍を取得しました。残念ながらまだ英語を習得していませんが、この国そして、人々を大変愛しています。誇りを持って英国人だと言えます。そう、彼ら(FSB)は私を殺そうとしました。私は死ぬかもしれません。

 ただ、その場合でも、自由人としての死です。息子や妻も自由人です。英国は偉大な国です。亡命を受け入れてもらった後、私は息子をロンドン塔に連れていき、こう言いました。『君は自分の血の最後の一滴が落ちるまで、この国を守らなければならない。この国は私たちの人生を守ってくれるんだから。この国を守るためにあらゆることをしなければならないんだよ』と。

 政治的な事件と受け止められるだろうと思っています。これは政治的ではなく犯罪です。私は犯罪者であるプーチンがG8の議長席に座り、英首相のトニー・ブレアと同じテーブルを囲んでいることに怒りを覚えます。この殺人犯と同じテーブルを囲んだことで、西側の指導者は殺人に協力したのです」

 4カ月前の7月中旬、ロシアの古都サンクトペテルブルクでG8サミットが開かれ、プーチンは議長として会議を取り仕切った。

 リトビネンコが残された体力を振り絞るように語った言葉は、プーチンの正体に気づかず、「悪」に協力する世界の指導者たちへの批判だった。

 ハイヤットは最後に、ここでの発言が司法の場に持ち込まれる可能性があると説明し、虚偽発言だとわかった場合、罪に問われると伝えた。リトビネンコはこう返した。

「真実のみを語りました。真実以外は何も話していません。私が述べたすべての言葉について、刑事責任をとる覚悟があります」

 二人の警察官の目はうるんでいた。聴取が終わったのは午後8時53分だった。

(小倉 孝保/Webオリジナル(外部転載))

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