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「SHOGUN 将軍」プロデューサー・宮川絵里子が“エミー賞最多ノミネート”に至るまでの道のり【NY発コラム】

映画.com / 2024年9月8日 8時0分

「SHOGUN 将軍」プロデューサー・宮川絵里子が“エミー賞最多ノミネート”に至るまでの道のり【NY発コラム】

(c) 2024 Disney and its related entities Courtesy of FX Networks

 ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。

 米テレビ界の“アカデミー賞”といわれる第76回エミー賞のドラマシリーズ部門にて22部門・最多25ノミネートを記録している「SHOGUN 将軍」は、批評家だけでなく、一般層からも多くの支持を得ている。この成功の立役者として、出演だけでなく、プロデューサーを兼ねた真田広之の活躍は世間に認知されていることだろう。

 だが、もうひとり、忘れてはならない人物がいる。

 長年、ハリウッドと日本の文化の架け橋を担ってきたプロデューサー・宮川絵里子だ。彼女の手腕が、本作の評価にかなりの影響を及ぼしている。まずは、宮川がどのような道のりを経て、「SHOGUN 将軍」に辿り着いたのかを紹介していこう。

 18歳の時に日本を離れ、アメリカへの留学を決意。その動機を尋ねてみると「きっかけは、国際的な人物になりたかったんだと思います」とのこと。

「私の憧れは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を運営された緒方貞子さん(日本人初の国連難民高等弁務官)でした。ボスニアの戦場で防弾チョッキを着た彼女の姿は、私の脳裏に忘れがたい印象を残していました。当時、私の周囲ではアメリカの大学に進学する人は誰もいませんでしたが、緒方さんがワシントンD.C.のジョージタウン大学に進学していたことを知りました。そこで私も出願をし、入学したんです。つまり緒方さんが“きっかけ”でした」

 ジョージタウン大学を卒業した宮川は、どんな職業に就くか迷っていた。その時、ある出来事が運命を変える。それが、クエンティン・タランティーノ監督作「キル・ビル」に、翻訳家として参加するということだった。

「(作品への参加は)偶然というか、運が良かったのだと思います。ジョージタウン大学での専攻は、文化と政治と呼ばれる国際関連で、その中でも私は東アジア研究を副専攻としていたんです。中国にずっと興味を持っていて、中国語も勉強していました。大学2年生の時、中国と台湾に留学したこともありました。北京には駐在員の友人もいたくらいです。ただ、ジョージタウン大学を卒業した後、私は自分の人生をどうするべきかわかりませんでした。そんな時、クエンティン・タランティーノが北京で映画を撮るというメールを受け取ったんです。撮影は北京で行われるが、ストーリーは日本の設定――日本語の英語通訳が見つからなかったんです」

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