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黄金期ジュビロ、単身ボカ移籍、最年少J得点王…沖縄SV高原直泰が語る『キャリア』の裏側

ゲキサカ / 2018年4月4日 13時13分

ゲキサカのインタビューに答えた元日本代表で沖縄SV「代表兼監督兼選手」のFW高原直泰

 元日本代表FW高原直泰(38)は現在、自身が創設した『沖縄SV』(今季から九州リーグ所属)の「代表兼監督兼選手」として、サッカークラブ経営に取り組んでいる。縁もゆかりもなかった土地に移り住み、今年で3年目。ピッチ上の選手に自身の経験を伝えるだけでなく、選手の獲得、地域貢献、事業開発と多方面に全力を注ぎ続けている男の想いを聞いた。(全2回)

■18歳で磐田入団…「フリューゲルスに行く予定だった」

―九州リーグへの昇格が決まり、今年も新たな選手の獲得に尽力してきたようですが、まずはご自身のルーキー時代(1998年)から教えて下さい。率直になぜ、磐田を選んだのですか。
 磐田に決まったのはなんだろう……(笑)。正直、もともとフリューゲルス(横浜フリューゲルス/99年度限りで消滅)に行く予定だったんですよ。夏くらいの時には、ほぼほぼ決まっていました。
 でも当時ジュビロのコーチをやってた昌邦さん(山本昌邦)が、スカウトに「アイツはもうサイン(契約)したのか?」ってなって、「まだサインしてないなら……」ということで、俺とウチの両親が昌邦さんと会うことになりました。

 もともとウチの親父が昌邦さんを知っていて。たぶんウチの親父が日大三島高の教師だった時の教え子に昌邦さんがいたのかな。その関係もあり、会って話をして、ジュビロの現状とかの話をしました。そこで唯一チャンスがあるポジションがFWだったんですよね。
 ジュビロに入って、スタメンに入るくらいになれば、日本代表につながるという話もして、よりレベルが高く、日本代表までつながっているというところで、ジュビロに決めました。でも、それまではほぼほぼフリューゲルスだったという感じですね。『逆転』じゃないですけど(笑)。

―たしかに当時の磐田は中盤にはチャンスがなかったですよね。(※MF名波浩、MF藤田俊哉、MF服部年宏、MFドゥンガらが所属)
 絶対にないですよね(笑)。みんな20代前半も多かったんで。FWはちょうど自分がいたとき、ブラジル人の若いヤツ、アレッサンドロだったかな。あと奥くん(MF奥大介)が1.5列目だったんで、結構チャンスあるかなという感じでした。

■21歳でアルゼンチンへ…「真剣勝負で行った」

―その後、4年目の2001年にはアルゼンチンのボカ・ジュニアーズへ行きました。その選択は何を見据えていたんですか。
 もともとできるだけ早く海外に行きたかったんですよ。そしてちょうど21歳の時ですかね、オファーをもらって。海外で挑戦したいという気持ちがかなり強かったので、当時の社長の荒田さん(荒田忠典元社長)に無理を言って、行かせてもらいました。
 当時は1stステージ、2ndステージに分かれてたんですけど、1stステージを優勝して行きました。トランクケース1個持って(笑)。契約は1年レンタルのオプション買い取りという形でした。

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