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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:超える(大成高・豊島裕介監督)

ゲキサカ / 2019年7月23日 21時32分

大成高の豊島裕介監督

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 かつて忠誠を誓ったカナリア色のユニフォームを目にしても、なぜか落ち着いている自分にはっきりと気付く。ここを超えなくては、悲願を引き寄せることはできない。それでも、カナリア色はただの“対戦相手”だと割り切ることができている。「実はまだ母校と戦ったことが公式戦では1度もないので、ウチが全国大会に行くチャンスの時は、やっぱり母校とやるのかなという、そんな気もちょっとしているんです」。少し前に口にしていたシチュエーションに直面した豊島裕介は、なぜか落ち着いている自分にはっきりと気付いていた。

 高校選手権で6度。全国総体で3度。過去9度もの日本一を経験している、高校サッカー界の“カナリア軍団”としてその名を知られる帝京高。豊島は1996年に同校の門をくぐり、サッカー部へと入部する。厳しい練習に食らい付き、レギュラーを獲得した3年時の選手権。準決勝の前橋育英高戦で憧れのピッチに立つと、2-2で迎えた終了間際に劇的な決勝ゴールを叩き出し、国立競技場に熱狂の渦を巻き起こす。決勝では東福岡高に敗れたものの、7番を背負った豊島は大会優秀選手にも選出。間違いなく将来を期待される存在だった。

 ところが、その後のサッカー界で彼の名前を聞く機会は限られていく。もともとプロ志望だったが、高校3年の時点でオファーがあったことはだいぶ後に知った。帝京大に進学するも、「やっぱりカテゴリーも上のレベルじゃなかったので悔しさはあって、どこかで切れてしまった部分はあったと思います」と豊島。大学卒業後にラストチャンスと位置付け、東京ヴェルディのセレクションを受けるはずだったものの、直前に膝の内側靱帯を負傷。「もうそこで『これは選手じゃない』と」自身の引き際を悟り、プレーヤーとしてのキャリアにピリオドを打った。

 以降は幼稚園生や小中学生のスクールコーチ、高校のアドバイザーなどを務めながら、少しずつ指導者の道を歩み出すと、2006年にサッカー部の強化を図っていた大成高に事務職員として採用され、監督に就任する。初めて任された“一国の主”。希望と期待を抱いて部員との対面を果たす。だが、そこはかつて自らが3年間を捧げていた環境とは天と地以上の差があった。

「本当に忘れもしないのは、最初にグラウンドに行ったら、敷いたマットの上であぐらをかいた生徒たちに『誰?』って言われて。茶髪の子がいて、腰履きの子がいて、当時はまだ“ROOKIES”はなかったですけど、本当にそんな感じでした」。試合に連れて行ったら、相手とケンカを始める選手もいた。「『オレはサッカーなんかいいから、アイツをボコボコにするんだ』とか言い出して(笑)」。ボールを蹴る段階以前の状況に頭を抱えつつ、まずやるべきことを整理する。

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