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「人としてダメになってしまう」…高橋洋子が『残酷な天使のテーゼ』ヒット後に介護職に就いたワケ

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年3月10日 11時0分

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代表曲『残酷な天使のテーゼ』で知られる歌手の高橋洋子さん。「『残酷な天使のテーゼ』でヒットを飛ばした後に、芸能界から身を引いて介護の仕事をしていた」時期があったと言います。本稿では、川内 潤氏の著書『わたしたちの親不孝介護 「親孝行の呪い」から自由になろう』(日経BP)より一部を抜粋し、5年間プロとして介護の現場に身を置いた高橋さんと川内さんのインタビューを紹介します。

「ラジオを聞いていたら、『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌『残酷な天使のテーゼ』を歌っていた高橋洋子さんが『介護の仕事をしていた』というお話をしていてですね」と、川内さんが打ち合わせで興奮気味に言い出したことから、今回の対談が実現しました。 家族と介護の話題を中心に聞いてきたこの連載ですが、今回は「介護をするプロ」の立場からのお話を伺っています。希代のシンガーと介護のお仕事、さて、どんな展開になるのでしょうか。

「残酷な天使のテーゼ」から介護職への道

川内潤さん(以下、川内):実は私、学生の頃からラジオのヘビーリスナーでして、TBSラジオの『安住紳一郎の日曜天国』も毎週欠かさず聴いてます。この番組で高橋洋子さんが「『残酷な天使のテーゼ』でヒットを飛ばした後に、芸能界から身を引いて介護の仕事をしていた」と話されていて、すごくびっくりしました。

高橋洋子さん(以下、高橋):ありがとうございます。最初にお断りしたいのですが、介護のお仕事といっても、5年間だけでして。そして今は現場から離れて時間もたっているので現状を把握しているわけではありません。ですので、今、現場で働いている方を差し置いて私があれこれ語ることに申し訳ない気持ちがあります。そもそも語れるほどのものがあるかどうか……。ですので、あくまで高橋洋子一個人の経験の話として、聞いていただければと思います。

川内:分かりました。そもそものお話ですが、高橋さんのメジャーデビューは1991年で、「残酷な天使のテーゼ」(1995年)はデビュー曲ではないんですよね。

高橋:はい、デビューからしてちょっと変わっていまして。普通は歌手デビューというと、前もって準備して、曲はどなた、歌詞はどなた、ジャケットはこういうコンセプトで、どういう売り方をしよう、と考えそうじゃないですか。

川内:だけど高橋さんはそうじゃなかったと。

高橋:そう(笑)。「月9のドラマの主題歌枠を押さえることができた。だけどもう時間がない。誰か、譜面を見て歌える人はいないか、あ、洋子ちゃんがいた」と連絡がきて、緊急デビューしたんですよ。

川内:緊急デビューなんてことがあるんですね。

高橋:普通はないです(笑)。その頃はもうバブルが弾けていて、芸能界も生き残るためにひっちゃかめっちゃか、みんな必死になっていました。だから「問答無用、これでデビューだ」と言われて、やるしかないわけです。すぐにレコーティングをしたのですが、その場で歌詞がどんどん変わって、それが反映された譜面を見ながら歌うという。ジャケットの写真も間に合わなくて、時計の絵だけ。私の姿はどこにも写っていないんですよ(笑)。

川内:ひどい……。

高橋:それでCD用の音源をプレス工場に出した後で、ドラマの制作側の都合が変わって、結局私の歌入りのほうは流れなかったんです……。

編集Y:それが『P.S.I miss you』ですね。1992年に第25回日本有線大賞新人賞を受賞された。

高橋:私の臆測ですが、遠距離恋愛のドラマの曲だったので、有線放送で選曲する遠恋中のお姉さんたちが曲を流してくれたんじゃないかと。さらに『もう一度逢いたくて』で第34回日本レコード大賞新人賞(最優秀新人賞ノミネート)も獲って。

川内:すごいじゃないですか?

自分は上げ底の上に乗っていると思った

高橋:はい、とても幸運なデビューでしたね。でも、世の中的には「高橋洋子? 誰?」という感じじゃないですか。その後もスタッフの皆さんが頑張ってくださったんですけれど、目立つ実績は残せなくて、会社も社長がどんどん代わる。レーベルごと独立をする方に付いていくことにしたのですが、まだ新会社には何もないので、「だったら時間がある間に歌の勉強をやり直したい」と、ロサンゼルスに半年間行きました。

帰ってきたら浦島太郎状態で、仕事も何もない(笑)。そんなときに「アニメのエンディング曲を歌う人を探している」という話があり、『新世紀エヴァンゲリオン』に出会ったわけです。

編集Y:『FLY ME TO THE MOON』ですね。もともとはエンディングの歌だけ歌うことになっていたんですか。

高橋:そうです。「主題歌も歌えば?」と言われて『残酷な天使のテーゼ』を歌った感じです。そして『残酷な天使のテーゼ』も、放映当初からヒットしたわけではないんですよね。何度も再放送を繰り返していくうちに、番組の人気に合わせて広がっていった。

川内:そうでした、そうでした。

高橋:エヴァンゲリオンが大人気になり、主題歌も売れて、すごくいいことなのですが、そうなると「自分は上げ底の上に乗っている」という気持ちが強くなってきて。

編集Y:上げ底?

高橋:芸能界にいると、きれいに見えるようにプロの方にメイクしてもらって、いい歌に聞こえるようにエンジニアに手を掛けてもらうわけじゃないですか。

編集Y:それはまあ、そういうお仕事ですから。

高橋:そうですね。もし私が、道を歩いているだけで誰もが振り返るような有名人だったら、自分でも納得できたかもしれません。だけど、コンビニに行っても誰からも気付かれない私が、芸能人としての扱いをされることで、自分の実力以上の存在になってお給料がもらえている。だから「こんな状況にいたら、私は人としてダメになってしまう」という、すごい恐怖が襲ってきたんです。

川内:なるほど。

編集Y:えっ川内さん分かります? ダメになるものですかねえ。

(写真:大槻純一)

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