「老いることは悪いこと」なのか?哲学者・キケローが語る“4つの誤解”
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年4月1日 11時15分
(※写真はイメージです/PIXTA)
いずれは誰もが直面する「老い」。マイナスな面ばかりに目を向けてしまいがちですが、必ずしもそうとは言えません。古代の哲学者キケローは、老いへの4つの偏見を取り上げ、その誤解を解こうと試みます。小川仁志氏の著書『60歳からの哲学 いつまでも楽しく生きるための教養』(彩図社)より、老いをポジティブに捉えなおすヒントを見ていきましょう。
老い=ネガティブなもの?
「老い」と聞くとどんな印象を持つでしょうか。このように聞くとたいてい、暇だとか、身体が動かないとか、病気、つまらない、死ぬのを待つだけといったネガティブな言葉が返ってきます。はたして、老いとは本当にネガティブなものなのでしょうか?
この問いに正面から向き合ったのが、古代ローマの賢人マルクス・トゥッリウス・キケロー(前106~前43)でした。彼は、老いとは悪いものだという「誤解」を解こうとしたのです。
「老い」は自然なこと
年を重ねていくにつれ、日常で「老い」を感じる場面は多くなると思います。そうして老いを実感した時、なんともいえない悲しさや寂しさを覚えることがあるでしょう。それは、老いに対するネガティブなイメージから来るものです。
その一方で、生き生きと老年期を過ごしている人たちがいるのもたしかです。仕事や趣味に対して意欲的で、健康や自律意識が高く、新しい価値観を積極的に取り入れようとする高齢者を、アクティブ・シニアと呼ぶことがあります。
そうしたアクティブ・シニアは現代だけでなく、2000年以上前の古代にもいました。古代ローマの哲学者キケローは、晩年に発表した著書『老年について』の中で、老年に対する誤解を解くべく、独自の議論を展開しています。この本はある老人が、若者2人に老年期の意義について語るという体裁をとった随筆的哲学書です。キケローは、老いを次のように表現しています。
幸せな善き人生を送るための手だてを何ひとつ持たぬ者にとっては、一生はどこを取っても重いが、自分で自分の中から善きものを残らず探し出す人には、自然の掟がもたらすものは、1つとして災いと見えるわけがない。何より老年こそ、そういった種類のものなのだ。(『老年について』岩波文庫、P12~13)つまり、「人生の中で自然に起こることに関しては、善い部分に目を向けさえすれば、何も悪いことではなくなるし、老いはその典型だ」というわけです。ただ、だからといって、衰えることがいいといっているのではありません。むしろキケローの真意は、人は自然に変化しているだけであって、それはなんら問題ではないという点にあります。いや、むしろ変化することは大事だとさえいっているように思えます。
老いに関する4つの誤解
『老いについて』の中でキケローは、老いに関する4つの誤解を取り上げ、それに対して1つひとつ論駁しています。わかりやすく表現すると、次の4つにまとめることができるでしょう。
①老いは仕事をできなくする②老いは肉体を弱くする
③老いは快楽を奪い去る
④老いは死に近づく
いずれも一見納得してしまうものばかりですよね。まさに老いに関する偏見です。では、キケローはこれらに対してどのように論駁を試みているのか。
まず「①老いは仕事をできなくする」については、老年の方が思慮・権威・見識を活かしてむしろ活躍できると言っています。無謀は若い盛りの、深謀は老いゆく世代の持ち前だと。
たしかにそうですよね。とりわけ物理的な時間に比例する経験は、若い人は年配の人に絶対にかないません。そしてそうした時間が醸成した思慮や見識は、センスや勢いみたいなものとはまた違う種類の能力ですから、時には仕事においても年配の人の力が求められるのは当然といえば当然です。
よく青壮老のバランスなどといいますが、まさに老には老の良さがあるのです。大切なのは、本人も周囲もそのことをよく理解して、適材適所を実現できるかどうかだと思います。
「②老いは肉体を弱くする」についてもキケローは、体力に応じた身体の使い方をしていればなんら問題ないといっています。特に私が納得したのは、老人の話し方についての例です。老人は声を張り上げて、熱く語るのには向いていません。それこそ体力もいるでしょう。逆に気負うことなく穏やかに話すことによって、皆耳を傾けるのです。
おそらく、その人にあった力の使い方をした方が、最大の効果を発揮できるということだと思います。子どもには子どもの声があり、高齢者には高齢者の声がある。それはあらゆる身体的特徴に当てはまることだといえます。
「③老いは快楽を奪い去る」については、老年の方がなんでも羽目を外すことなく適度に楽しめるし、精神的なものをより楽しめるようになるといっています。求める快楽の種類が変わってくるのでしょう。たしかに肉体的な快楽はあまり求めなくなるかもしれません。
でも、それは奪われたのではなく、シフトしただけだと思うのです。キケローのいうように、節度ある宴席や会話を楽しめるようになるわけです。だからキケローは、むしろ老いに感謝するとさえいいます。
「④老いは死に近づく」の死の接近については、そもそも死の可能性に年齢は関係ないし、若者よりも人生の終わりというゴールに近づいたからいいともいっています。死については誰しも平等に脅威にさらされているというのは、昨今の私たちの実感に合うものといえます。度重なる災害、そしてパンデミック。いずれも年齢を問わず、私たちの命を奪っていきます。
高齢者の方がリスクが高いという言い方はできるかもしれませんが、だからといって若ければ安心というわけではないのです。そこで彼は、死は長い航海を終えて港に入るかのような喜びだとさえ表現するのです。
いかがでしょうか? ここまで論駁されると、もはや老年期の方が素晴らしい時間であるかのように思えてきませんか? 私たちが老年に対して抱いている印象は偏見に満ちているのです。少なくとも老年という現象の一面しか見ていないのはたしかでしょう。
老年の良さは老年にしかわからない
とはいえ、こうした高齢者についての論駁は、もしかしたら若い人たちには単なる負け惜しみにしか聞こえないかもしれません。そんな反論を見越してか、キケローは『老いについて』をこんな言葉で締めくくっています。
以上がわしが老年について語りたかったことである。願わくはお前たちがそこに至り、わしから聞いたことを身をもって経験し、確かめることができることを。(前掲書、P78)ここには、2人の若者が文字通り老年期まで生きながらえることを真に願うと同時に、いくら老年期にある人間が老年のよさについて語ろうとも、それは実際に老年にさしかかった者にしかわからないというメッセージが込められているように思います。
これから老年期を迎えようとしている人たちにとっては、朗報といえるでしょう。そんなに幸福な時間が待っていて、それをもうすぐ味わえるというのですから。老年期の自分こそ、本当は自分史上最高の自分なのです。
それはいいすぎだと思われるかもしれませんが、決してそんなことはないはずです。知識も経験もようやくピークに達し、肉体さえ自分にふさわしい使い方をすれば武器になる。そんな状態が最高ではなくてなんなのでしょう? 高齢者は、通俗的なモノサシで自分を測り、卑下しながら生きるのではなく、もっと自信を持って生きるべきだと思います。
いや、それでもまだ足りない感じがします。単に自信を持つだけでなく、ワクワクして生きる必要があると思うのです。人間は死ぬ間際まで、自分史上最高の自分になれます。世間が貼るレッテルや病名に屈してはいけません。それもまた通俗的なモノサシにすぎないのですから。
私ももう10年もすれば老年期に差し掛かります。キケローの哲学を知って以来、その事実は不安を招来するものではなく、私にとって希望へと大きく変わりました。老年になってみないとわからない老年の良さ。それを実感することのできる日まで、日々頑張って生きたいと思います。
あ、それで思い出しましたが、1つ大事なことを書き忘れていました。キケローは老年期の良さを訴えると同時に、こうもいっていました。
しかし留意しておいて欲しいのは、わしがこの談話全体をとおして褒めているのは、青年期の基礎の上に打ち建てられた老年だということだ。(前掲書、P60)つまり、「老年期に喜びを得るためには、若いころに努力しておかなければならない」ということです。いや、今何歳であろうと、まだ先がある限りは努力する余地が残っているはずです。今の努力を惜しまないようにしてください。きっと楽しい老後が待っているに違いありませんから……。
小川 仁志
山口大学国際総合科学部教授
哲学者
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