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コミットメントが自分と世界を創る:現象学と実存主義/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2019年1月8日 3時31分

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

夫が悪い、妻が悪い。会社が悪い、社員が悪い。学校が悪い、学生が悪い。社会が悪い、本人が悪い。近ごろ、悪者探しだらけ。そういうやつに限って、ふんぞり返って、この世の外の神様か、お客様かを気取り、好き放題に批評批判。だが、自分がなにもしないで、結果が得られるわけがない。

買っただけ、持っているだけ、置いておくだけで、そのまま、それがそこにあるべくようにあって、いつでもアクセスできると思っているのを、フッサールの現象学では「自然的態度」と言う。つまり、物事は、自分とは無関係に、自律的に存続している、と思っている。

でも、それは、自分がそう信じているだけ。実際は、自分が関わらなければ、無いも同然。たとえば、本。買っただけで内容までわかれば、だれも苦労しない。積読では、いざ読もうと思っても、どこにあるかわからない。まして、彼氏彼女。ようやく手に入れても、その後、ほったらかしておけば、ほんとうに自然消滅。家でも、道具でも、人間関係でも、つねに手入れしていなければ、どうにもならなくなる。

いや、何もしていないわけじゃない。ちゃんとカネは払ってある、ときどき見てはいる、などというのも、大きな勘違い。そんなことは、コミットメントのうちに入らない。いったんそういう妄信的な自然的態度を停止して、これとかあれとか、実際に存在するとかしないとかを抜きに、たとえば、自分にとっての仕事(勉強、愛情)とは、を問うてみよう。これを現象学で「超越論的還元」と言う。

さらに、「形相的還元」として、さまざまな条件を自由に変更して想像してみる。あの会社だったら、給与がもっと高かったら、がんがん出世できたら、などなど。だが、こうやって条件を変更したら、かんたんに結果が変わってしまうようなら、じつは、それは、きみにとってのその本質ではない。逆に、どんなに条件を変えて想像してみても、変わらないものが残るなら、それこそが、その本質だ。どの会社でも、給与が高くても低くても、出世できてもできなくても、きみがやりたいこと、それがきみにとってのほんとうの仕事。

しかし、そうは言っても、現実の中では、そんな絶対不変の答えなんか、かんたんには見つからない。それどころか、ちょっとでも間違うと、なにもかも失敗するのではないかと不安でしかたない。それで、ヤスパースやハイデッガー、サルトルの言うように、人は世間に逃げ込む。そこでは、浅はかなウワサに漂い、口先だけのカラ話、人の醜聞を好奇心で追い、そのくせ、自分のこととなると、いま考え中、などと、曖昧なまま、白黒をつけずに先延ばし。だが、そうこうしている間に、世間のまなざしに追い詰められ、周囲が言うがままになって、いよいよ自分を失う。

つまり、自分というものも、ほっといて、そこにそれがあるべくようにあるわけじゃない。サルトルの言葉を借りれば、人間は、自由であるべく呪われている。自分というものを自然的態度で妄信し、ほったらかしていたら、何者でもないもの、ニートや引きこもり、ただあるだけの実存という無、になってしまう。

とはいえ、この実存という無を自覚するなら、それは、逆に、なんにでもなれる、という可能性でもある。世間がどうあれ、キルケゴールやヤスパースのように、理解しえない神の前の挫折、もしくは、ハイデッガーの言うような絶対固有の自分の死からの逆算、さらには、サルトルが挙げた人々のまなざしへの見返しにおいて、本来あるべきいまの自分のありようを取り戻し、先駆的決意として自分、そして、自分の世界を投射していってこそ、そこに自分と世界ができる。

きみがあれこれ文句を言ったところで、だれもきみの話なんか聞く耳を持たない。なぜなら、きみは、世界にとって、相手にとって、無だからだ。きみが読まない本は、本ではない。きみが努力しない勉強や仕事は、勉強でも仕事でもない。きみが愛情を注がない相手は、恋人でも家族でもない。きみが信じ祭らない神仏は、神仏ではない。きみが楽しまない人生は、人生ではない。ものは買っただけ、持っているだけでは、自分の手には入らない。むしろなにもかもが、崩れて失われていくだけ。

きみがきみを、きみが世界を、創る。きみがそれをすこしでも怠れば、きみも、世界も、すぐに消えてしまう。カネや世間を妄信するな。小説や映画で錯覚するな。仕事でも、勉強でも、旅行でも、恋愛でも、家族でも、人生でも、自分でやらなければ、けっして自分のものにはならない。名義ばかりの虚妄では、まったく意味が無い。ほんとうに意味のある人生がほしいなら、自分が自分で自分の人生を生きよう。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学、『百朝一考:第一巻・第二巻』などがある。)

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