日本の「民主連合」を考える 共産党は裏切る ベトナム戦争の教訓 その1
Japan In-depth / 2016年12月6日 11時18分
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
共産党とはなんなのか。共産主義とはどんな政治思想なのか。日本の目の前の実例を近代の歴史というプリズムから眺めてみるのも一興だろう。
日本の政治では共産党がハイライトを集めるようになった。日本共産党は国会の選挙から地方選挙まで議席を増やし、存在感が強まってきた。とくに最近、注視されるのは共産党と他の野党との連携の動きである。2016年7月の参議院選挙では野党連合は成功したとはいえないが、日本共産党の側は他の政治勢力との共闘にますます意欲を燃やすようになった。
「統一戦線」「国民連合政権」「民主連合政府」――こんなスローガンが掲げられるようになった。
となると、私はどうしてもベトナム戦争を思い出してしまう。私自身が新聞記者としてその劇的な展開を取材したあの戦争でも同じようなスローガンが掲げられ、叫ばれていたからだ。その主役はベトナム共産党だった。
そのベトナム共産党の戦略といまの日本共産党の動向をくらべると、ぴたりと重なる部分が多い。これは歴史の偶然なのか、あるいは共産主義独自の共通項なのか。いまベトナム戦争を回顧しながら、その検証を試みることにも歴史の教訓がありそうだ。
世界を揺るがせたベトナム戦争は1975年4月30日、当時の北ベトナム軍が南ベトナム(ベトナム共和国)の大統領官邸にソ連製の戦車などで突入して占拠することで幕を閉じた。北ベトナム軍はハノイを拠点とするベトナム共産党の軍隊だった。その大部隊が南ベトナムの当時の首都サイゴン(現在のホーチミン市)を制圧し、南の政権を粉砕した。時の南ベトナム側はそれまでの野党の代表が最後の新政権を編成し、共産側との交渉、あるいは降伏を請うた。しかしまったく認められず、完全に抹殺されてしまったのだった。
私はその時、毎日新聞記者として現地にいて、戦争の終結を見届けた。南ベトナムには通算4年近く滞在して、戦火の燃え上がりや和平への交渉、そしてまた大戦闘、その背後での政治の駆け引きを目撃したが、その最大の教訓の一つは共産主義勢力との「連合」や「統一」がいかに苛酷な結末をもたらすかを実感したことだった。とくに共産主義勢力が勝利した後のかつての「連合」の仲間の切り捨ては冷酷をきわめた。
私が戦火の燃え続ける南ベトナムに赴任したのは1972年4月だった。その地では米軍と南ベトナム政府に対して北ベトナムに支援された南の「民族解放勢力」が戦いを挑んでいる、とされていた。ただしアメリカはニクソン大統領がすでに米軍撤退の方針を表明し、残るのは空軍部隊だけだった。地上戦闘部隊はもうみな引き揚げていたのだ。
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