余りにも惜しい元ASEAN事務局長の死
Japan In-depth / 2017年12月14日 11時25分
千野境子(ジャーナリスト)
【まとめ】
・スリン・ピッツワン氏前ASEAN事務局長が急逝した。
・スリン氏は東南アジア有数の知日派であり親日家だった。
・ASEAN改革やより大きな舞台での活躍を期待されながらの急逝を惜しむ。
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タイの元外相でASEAN(東南アジア諸国連合)の事務総長も務めたスリン・ピッツワン氏の訃報が、日本では北朝鮮の新型ICBMの発射や横綱・日馬富士問題の陰に隠れて、ほとんど報じられなかったのは実に残念なことだった。スリン氏は「ASEANの顔」であると同時に、戦後日本の東南アジアへの貢献を早くから高く評価し、日本の良き理解者でもあったからである。
タイのバンコクポスト紙によれば、スリン氏は11月30日に講演のため草稿を準備中に心臓発作に襲われ病院に救急搬送されたが、午後3時7分に亡くなった。68歳だった。
まだまだ若く、あまりにも惜しい急逝で言葉もない。スリン氏は南部タイ出身のイスラム教徒。タマサート大学を出ると、米カリフォルニア州のクレアモント・カレッジで政治学を学び1972年に卒業。さらにハーバード大学で修士・博士号を取得した。この経歴からは秀才そのものの人物像が浮かぶ。事実、秀才に間違いないが、穏やかで包容力のある気配りの人でもあった。
政界入りは86年。長年にわたり議員を務めたが、92年から95年までは外務副大臣、その後チュアン政権の下で97年から2001年まで外務大臣を務め、外交の舞台で活躍した。
▲ 写真)チュワンリークパイ第20代タイ首相 出典)flickr :Ron Morris
私がスリン氏の存在に注目したのもその頃である。特に97年はASEANにとって創設40周年とアジア通貨・金融危機という明暗重なる年だった。クアラルンプールでのASEAN40周年記念会議のハイライトはラオス、ミャンマー、カンボジア3カ国が晴れて加盟し、創設時からの念願であったASEAN10か国体制の実現を祝うことだった。
ところがその直前に起きたカンボジアでのフン・セン第2首相派とラナリット第1首相派の武力衝突で同国の加盟は暗礁に乗り上げた。またこれに先立ち、ミャンマー軍事政権の民主化運動弾圧も不協和音を奏でた。特に欧米は民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チー氏の解放を強く求めていた。
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