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「香港の今を見て欲しい」写真家キセキミチコ氏

Japan In-depth / 2022年2月15日 22時47分

「香港の今を見て欲しい」写真家キセキミチコ氏




安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)





Japan In-depth編集部(齊藤琴音)





「今、あなたの話が聞きたい」





【まとめ】





・香港をとり続けている写真家キセキミチコ氏の話を聞いた。





・初めは香港のパワフルな市民の生活を撮りに行っていたが、次第に民主化運動の渦に巻き込まれ、前線で写真を撮ることに。





・写真展では、香港について、関心を持つきっかけになって欲しい。





 





安倍:「写真家」を名乗るようになってから何年ですか?





キセキ氏: なんかそこ、すごく難しくて・・・カメラマンだったり写真家だったり、いろいろと呼び方があるじゃないですか、フォトグラファーとか。私は、音楽とかエンタメなどの商業写真をずっと撮ってきたので、なんとなくずっとカメラマンって言ってたんですけど、今回のようにドキュメントとかを撮り始めてから、写真家って言うようになったんですよ。別に区別はないんですけどね。大学は一応写真学科に入ってから1人で撮り始めました。独立できたのは、27歳くらいですかね。だから私は結構スロースターターだと思います。写真の歴史が長い割には、1人で撮れるようになるまでに10年位かかってますから。





安倍: もともとフォトグラファーになろうと思ってたんですか?





キセキ氏: それが、そんなこともないんですよ。なんとなくと言ったらなんとなくで、ただ写真を見て「いいな」と思ったりしただけなんです。マグナムってご存知ですか?マグナムの写真展を高校生の時に見て、すごいなって感じるものがあったのは確かです。(編集部注:「マグナム・フォト」世界を代表する国際的な写真家集団)





何かになりたいっていう感情はその当時はあまりなかったんですよね。ちょうど2000年に高校卒業なので、ザ・コギャル時代だったんですけど、人生で1番楽しい何も考えてない高校生活を謳歌してました。ポケベル持ってっていう時代だったので。だからあまりその時は写真家になりたいとかはなかったですね。やりたいことがあったわけでもないんですけど、やるなら何か手に職を、とは思っていました。





ただ、勉強ができるわけではないので、それこそ私はベルギーで生まれて、香港、フランスで育ってるんですけど、英語もフランス語も中国語も一切できないんですよ。ずっと日本人学校に行ってたので、語学に対するコンプレックスもあったりして、勉強とか文字とか、勉強するってこと自体がとても嫌いだったんですよ。だからそうじゃないものをやりたいなって思っていて、普通に(大学)受験しても受かる自信も気もしなかったですし、受験したくもないって思ってたので。そこで、何か手に職をつけたいってなと思った時に、マグナムですごい影響を受けたのもあるし、ずっと海外育ちの中で父親がやはり海外にいるとよく旅行に行っていて、いつもカメラ持っていたという原体験もあるのかなと思います。今となっては、27,8歳くらいから少しずつ写真家の道を目指し始め、なんだかんだ10年以上経ってますけどね。





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