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「石原慎太郎さんとの私的な思い出4」 続:身捨つるほどの祖国はありや 17

Japan In-depth / 2022年5月13日 11時0分

石原さんは、小学生の男の子と女の子が出逢い、女の子が人妻となり、その夫が亡くなり、そのことを大蔵官僚となっていた男の子が官報で知って弔電を送ったこと、そして男は大蔵官僚から一転して戦犯として監獄に繋がれる身となり8年間をすごしたのち、衆議院議員となったこと、その直後に妻が亡くなったことを一つ一つ綴る。


最後、年老いて癌のために先に逝く女性を、閣僚となっていた男が病床に見舞い、眠っているその女性の塑像のような姿を確認し、目を覚ました女性がベッドから差し出した手の内になおも感じられるぬくもりを男性が懸命に感じとり、互いになにも言わず見つめ合うだけの別れの時間があったこと、さらには男性が公人としての予定を退けて葬儀の席に現れ、出棺まで黙って座っていたことまでを、抑制された筆致で淡々と物語る。


静かな激情が読む者の心をつかんで離さない名編である。


石原さんは亡くなった。


死について、『私の好きな日本人』に石原さんと賀屋興宣とのこういうやりとりがでてくる。石原さん45歳、賀屋興宣88歳。


石原さんがたずねる。「この頃一番何に関心がおありですか。」


賀屋興宣が答える。「ああ、それはやっぱり死ぬということですな。」


「人間が死ぬというのはどういうことですかね。」


とたたみかけるように問う石原さんに、賀屋興宣は答える。「つまりませんな、死ぬということは」


そして続ける。


「いろいろ考えてみましたが、分かってきましたな。人間は死にますとね、暗い長いトンネルみたいな道を一人でずうっと歩いていくんですよ。


「そうやって一人で歩いてゆくと、やがては悲しんでくれていた家族も私のことなんぞ忘れちまってね。さらにその先、この自分も自分のことを忘れてしまうんですよ。つまり何もかも全くなくなってしまうんです。だからつくづくつまらんですな、死ぬということは。」


そう言ってのけた賀屋興宣は、最後に「ですから私は死にたくないですな」と「低く乾いた声で笑ってみせた。」石原さんはそう書いている。(195頁)


最後に石原さんは、「この段に及んで、彼が秘めていたこれほどの強烈なニヒリズムに行き会うとは。」と結んでいる。(196頁)


ところがこれで終わりではない。


さきほど紹介した『死者との対話』と題された本に収められている『死者との対話』という小説は、2019年文学界7月号に石原さんが書いたものだ。   


そのなかで石原さん自身とおぼしき「六十代半ばの白髪で端整な顔立ち」の「わりと有名な作曲家」の男が、


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