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「石原さんとの私的思い出9」続:身捨つるほどの祖国はありや25

Japan In-depth / 2022年12月14日 23時0分

「石原さんとの私的思い出9」続:身捨つるほどの祖国はありや25




牛島信(弁護士・小説家・元検事)





【まとめ】





・小説『火の島』について石原さんとのやりとりが始まったのは、2002年5月10日だった。以来、幾度となく小説作りの相談を受けた。





・石原さんは、ワープロを使って物を書くという道を見つけて以来、たとえ脳梗塞になっても死ぬ理由などなくなっていた。





・存在しているのは石原慎太郎という一人の人間ということであって、都知事も作家も、そのある部分でしかない。





 





『火の島』(幻冬舎2008年11月15日刊)についての石原さんと私とのやりとりが始まったのは、2002年、平成14年の5月10日だった。石原さんがわざわざ私の事務所にお見えになって、事務所の会議室のホワイトボードを使っての相談ごとが初回だった。





ちなみに、『火の島』が出版されると、2008年12月3日に石原慎太郎事務所の方がわざわざ私の事務所に届けてくださった。





見開きには、なんと、石原さんの自筆で、





「君ありてこの本成りぬ 感謝多謝」と書かれている。その左側の頁、見返しの遊びというらしいが、そこにも、やはり石原さんの筆跡で「牛島信様」とある。





『火の島』なるタイトルがいつ、どうして決まったのか、私は知らない。





麻布台の住所の印刷された封筒に入ったゲラを、石原慎太郎事務所から送っていただいたのが2006年11月6日のことだとははっきりしている。だから、その時点では『火の島』というのが小説のタイトルに決まっていると私が知っていたことになる。





火の島?あ、火山か。じゃあ、きっと石原さんがヨットでよく行っていた伊豆七島のどこかの島かな、伊豆大島なのかなといったていどのことしか考えなかった。それが実は、『男の海』(1973年 集英社)に出てくる三宅島だったとは。





三宅島については、すでにこの本のなかで書いている。「慎太郎も見てやらなくてはかわいそうだよ」という場面である。





しかし、この『火の島』という題名の小説について話す機会があるたびに、石原さんが、男と女の話なんだよ、長くて複雑は関係があってね、今回は大きな金がからむんだ、会社の乗っ取りとかあってね、と嬉しそうに話していたのを私はおぼえている。





石原さんは、





「一族会社でね、公開していない会社なんだよ。竹中工務店みたいなね」





と切り出した。その会社。A社の社長の実弟が親会社、Aホールディング実質の責任者なんだ。」





石原さんは私に対して、自分の新しい小説の構想を話し始めた。私が、わからないことがあるたびに口をはさんで、石原さんが説明し、それでは会社としておかしいと私が解説する、そうすると石原さんが、じゃこうしよう、と言って、どんどん中身が膨らんでいく。私の事務所の会議室が、そうした小説作りの作業現場になっていた。





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