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「石原さんとの私的思い出9」続:身捨つるほどの祖国はありや25

Japan In-depth / 2022年12月14日 23時0分

それで三島由紀夫は、結局、腹を切ってしぬしかないところへ自らを追い詰めてしまったのではないかと、私は秘かに疑っている。確かに、死にかたでは三島由紀夫と石原さんとは決定的に違う。年齢も45歳と89歳。石原さんは、自分で死にたくなったりはしなかったから、私に告げたように「死にたくなったら頭から石油をかぶって死ぬ」こともなかった。しかし、歴史に残る死にかたとして語り継がれるのはどちらかと問うなら、これはもう絶対的に三島由紀夫である。誰にたずねてもそう答えるだろう。三島由紀夫は、死の直前、「俺はついに石原に勝ったぞ」と凱歌をあげたのだろうか。私にはわからない。









▲写真 三島由紀夫(1969 年頃) 出典:Photo by Bernard Krishner/Pix/Michael Ochs Archives/Getty Images





そう言えば、石原さんは『「私」という男の生涯 』のなかで、「この今になって同じ脳梗塞で倒れ、今の自分は昔の自分で亡くなったと自戒して自殺してしまった」と江藤淳の自決に触れたうえで、「江藤淳を思い出すが、正しく今はかつての私ではなくなった自分を咎めて自殺するつもりは絶対にありはしない。」と言い放っている。(199頁)





その理由というのが、「もし今私の手元にワープロなる新しい機材がなければ物を書けなくなった私は当然自殺していたことだろう。」とあるとおり(199頁)、物が書けるという事実にかかっているのだ。





すると、「死にたくなったら石油を頭からかぶって死ぬ」と私に言ったのは何だったのか。強い反発はあったが、絶対に自殺なんてしないという趣はなかった。それどころか、私の勝手な考えでは、石原さんは高校生のときに一度自殺未遂をやっているような気がしてならない。『灰色の教室』の宮下嘉津彦少年のことである。未だワープロを使い始めていなかっただけかもしれない。だから自殺もあり得る選択肢だったのかもしれない。なんせ四半世紀も前のことなのだ。





もっとも、石原さんが自分のことについても他人のことについても、事実と外れることを気にしないで喋ることがある人だということは、私は、例えば伊藤整の『変容』についての石原さんとのやり取りの件でよくわかっている。なんといっても、石原さんは小説家なのだし、私との話は小説を書くことについての話なのだ。事実よりも自分の感覚が大事だということだろう。わかる。





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