「石原さんとの私的思い出9」続:身捨つるほどの祖国はありや25
Japan In-depth / 2022年12月14日 23時0分
当時、18歳だった私は、大江健三郎の言うことはおかしなことだと感じた。大江健三郎の、どうにもならない、つまり自分が政治家になるべく立候補することはできない、それなのに石原慎太郎はそれをやすやすとやってのける、どうにもならない程の嫉妬だな、と感じていたと思う。なだいなだだったか、どこかの新聞に、石原さんの参議院選挙出馬に触れ、社会党はどうやってでも大江健三郎を説得して、同じ参議院選挙に出馬してもらうべきだ、と述べていた。選挙という観点からみて、大江健三郎にそれほどの大衆性があるわけでないのに、おかしな話だなとしかしか思わなかった。
それほどに、石原さんの、35歳での政治参加宣言は、石原さんでしかなし得ない大事件だったのだ。
目の前で新しい小説のプロットについて熱心に説明している人は、都知事の職にある人だという事実を忘れさせた。
私の手元に、ノーマンメーラーの全集発行に際しての、B6版の半分ほどの水色の小さな紙片がある。昭和44年に出始めたようだから、私は19歳だった。
「新潮社版 ノーマンメーラー全集 推薦の言葉」と3行の横書きの下に、どちらも、今となってはとても若い、石原さんと大江健三郎の二人の顔写真があって、それぞれの短い文章が記されている。私はその小さな紙片を長い間大切にしまっていた。石原さんは、もちろん未だ慎太郎刈りの短い髪形である。
石原さんは、「現代、日本の作家が見習うべきは、彼の文体などではなく、彼の小説に対する希望と信頼ではなかろうか。」とある。
そういえば、と私は思う。三島由紀夫が短い髪形に変えたのは、石原さんの慎太郎刈りと関係があるのではないだろうか。それほどに、三島由紀夫の石原慎太郎コンプレックスは大きかったと思っているのである。あの、昔の文藝春秋社の屋上での写真。あのときには確かに三島氏は長い髪を整髪料でぴったりとなでつけている。大蔵省に入った時、その後の四谷駅近くでの写真の三島氏も、当然同じである。
石原さんは、あまりに多くのものを持ち過ぎていた。若くして『太陽の季節』という価値紊乱小説を書いて、あっという間に芥川賞をもらい、以来、映画にまで出演した。三島由紀夫が映画に出たのも石原さんへの対抗心の類なのだろうが、しょせん、見栄えが違った。容貌と身長が決定的に違ったのだ。もちろん、三島由紀夫が悪いのではない。石原さんが、あまりに素敵で格好が良かったということだ。加えて、石原さんのいう、運動神経のある人間とない人間の落差はどうしようもなかったろう。
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