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平成12年の年賀状恵比寿のシャトーレストランでの時間/伊藤整全集のことなど

Japan In-depth / 2023年4月26日 18時0分

「熱が更に高くなり、胸を力いっぱい持ち上げるような呼吸をしはじめ、あの、母の死ぬ前にあったような鼾に似た喘鳴を病人ははじめた。」と死を迎えつつある老女が描写される。その老女に、同じくらいの年齢の老女が話しかける場面が冒頭近くに出てくる。(全集10巻24頁)


「この世のお暇乞いは楽じゃないんだよ、楽じゃないんだよ。」そう話しかけるのだ。


そうだったのか。そんなこととは露知らず呑気に生きてきてしまった。実はそれが人生の実相なのだとは、誰も教えてくれなかった。


いや、発掘を読んだのは1978年7月24日のことだ。28歳。同じ文章を読んでも、年齢によって分からないことがあるのだ。


「年寄の気持ちは年をとらないとわからない。」いつも父親が繰り返していたものだった。


私は年寄だろうか。元気に仕事をこなし、会話をし、食事をするこの私。運動も定期的にしている。確かに筋肉は運動を始めた7年前よりも太く強くなっている。しかし、人間の肉体のうちで鍛えることのできる部分は限られている。3,40代の暴飲暴食のツケは確実に払わされるのだろう。


未だ、「助けてくれ」という悲鳴をあげるほどにはなっていない。


私は友人の医者にこう話すことがある。たくさんの富裕であったり権力を持っている患者を抱えている医療クラブを経営している男だ。


「先生、人間は、いろいろ金や権力とかを誇っていても、最後は結局、先生のところに頼ってくるんですよね。」


その後に私が、「先生は、蟻地獄の一番下にいる蟻食いのように待っているだけでいいんだから、いい仕事ですよね。どんなに必死にあがいても砂がサラサラと崩れて、蟻は食われてしまう運命から逃れることはできないってわけですからね。」と付け加えると、嫌な顔をする。


しかし、本当なのだ。それどころではない。真実は、その友人は蟻地獄のいる蟻食いではなく、蟻地獄に落ち込んでしまった蟻にあらゆる救いの手を差し伸べてくれるありがたい存在なのだ。彼の患者への献身ぶりを近くで見聞きしている私には、彼の存在がどれほど患者にとって貴重か分かる。なにせ、私自身がなんどか蟻地獄の境目で足を滑らせ、ずるずると体が下へ落ちてゆくのを感じ、恐怖にかられて大声で彼を呼び、彼がその太くたくましい腕を伸ばしてくれたおかげで助かったのだ。


しかし、結局は行くところとは分かっている。


そろそろ覚悟を決めるべきか。本人は未だ早い気がしている。気を付けるが、死がやってくるのは未だだと思っている。少なくとも統計的には、などと気休めを自分に言い聞かせながら。


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