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平成13年の年賀状「車と私」・「人の心と会社経営」

Japan In-depth / 2023年5月10日 11時0分

私が浮利を追うことを蛇蝎のごとく嫌うのは、それが怖いからである。もし上手く行ってしまったら又繰り返さない自信が持てないからである。もし二回目も上手くいってしまったら?きっと三回目もする。なぜなら、もう自分の心が腐ってきているからである。浮利は自分の心を蝕む、食い殺す。浮利が得られるならば勤労なぞバカらしくなる。自分の心、魂といえども、一度腐ってしまえば元に戻すのは難しい。 


しかし、他方で、いまの世の中にはリスクを取れという言葉が満ち満ちている。もちろん、その真意はリスクは取れ、しかし浮利は追うなということであろう。では、リスクと浮利とを結果以外で区分けすることはできるものなのだろうか。


そこで社外取締役が役に立つ?つまるところ、衆議を尽くしてその結論に従う、ということなのだろうか。それは、要するに、過度なリスクは取るなということであり、それではそれまでの議論がなにが過度なのかという議論にすり替わったにすぎない。 


「完全市場の土俵では企業が資本コストを超えるキャッシュ・フローを獲得するというのは不可能な願い」(『[新解釈]コーポレートファイナンス理論』宮川壽夫 189頁 ダイヤモンド社2022年刊)と言われてしまっては、どうしたら良いのか。


いや、すぐあとには「企業価値の拡大は企業が資本コストを上回るキャッシュを獲得する以外に究極的には起こらない。」とある。(195頁)さらに、「いくつかの企業が株主価値の拡大に成功し、一方で株主価値を棄損し続ける企業が常に一定数存在する、というのが本当のところかもしれない。」とある。(197頁)


どうやら、やはり会社は経営者次第ということが現実の世界なのだろう。完全市場は議論のための仮定に過ぎないのだ。そこに、現実世界のどの部分を追加して分析するのかなのだ。


宮川教授はシュンペーターの破壊的創造について触れ、「帆を張って風の向くまま走行していても向かう方向はみんな一緒で行きつくところは同じ場所だ。・・・自分の企業だけがエンジンを積んでみんなが向かう方向とは異なる方向に舵を切る野心と勇気がなければ企業価値の拡大はとてもむずかしい。」と結ぶ。(199頁)まことに明快である。しかし、みんなの帆はあっちを向いているのに、独りエンジンをかけて別の方向に走ることには、まことに「野心と勇気」が要るだろう。 


エンジンのついたボートが浮利の港に向かっているのかどうか。やはり結果論のような気がしてならない。経営だけではない。人生はすべてそうなのかもしれない。結果論というのは分析と準備の虚しさの言い換えだろう。世の中はなべてそんなものなのだろうか?


トップ写真:東京の道路。イメージ 出典:Benoist STbire / Getty Images


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