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平成13年の年賀状「車と私」・「人の心と会社経営」

Japan In-depth / 2023年5月10日 11時0分

それが創業者の息子の世代へ会社が引き継がれると、後継者がアッと驚くような事態が待っていることがある。いつのまにか株が番頭、管理畑の専務の手に移ってしまっていることを後継社長である創業者の長男は発見するのだ。その番頭にしてみれば、準備の時間はたっぷりとあったのである。あるいは初めからそう企んでいたのではなかったのかもしれない。もともとはそんな野心なぞ無かったとしても、創業社長が認知症気味になってくると良くない心がむくむくと頭をもたげる。「考えてみれば、社長は売って回っていただけで、この会社をしっかり管理していたのはこの自分ではないか。つまりこの会社を大きくするための経営らしいことをしたのはこの俺なのだ」と、自らを納得させる理屈はいくらでも心のなかに浮かんでくる。社長の決裁がなければ譲渡禁止の株を動かすことなどできない。しかし、その社長は自分が認知症気味であることを周囲に隠そうとしていたら?番頭にとっては、目の前に丸々と太った子羊がいたということになる。 


漱石の『心』のなかに、こんな場面がある。


先生が、主人公である語り手の「私(わたくし)」に兄弟の数を訊いたうえで「みんな善い人ですか」とたずねる。「私」は、「別に悪い人間という程のものもいないようです。たいてい田舎者ですから」


先生はここに引っかかる。


「田舎者は何故悪くないんですか」


そして、「先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。


『田舎者は都会のものより、却って悪い位なものです。それから、君は今、君の親戚などの中に、これといって、悪い人間はいないようだと云いましたね。然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型にいれたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それがいざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断が出来ないんです』」


このやりとりあと、しばらく二人で緑のなかを歩く。「私」は我慢ができず先生にたずねる。


「さき程先生の云われた、人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか。」


しかし、先生ははっきりと答えない。「意味といって、深い意味もありません。―――つまり事実なんですよ。理窟じゃないんだ」


「私」が執拗に「『事実で差し支えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際ということなんです。一体どんな場合を指すのですか』


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