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平成19年の年賀状 「『我が師 石原慎太郎』、日米半導体戦争、そして失われた30年」・「三回の欠礼、M&Aとコーポレート・ガバナンス、そして人生と仕事」

Japan In-depth / 2023年7月12日 18時0分

最近はサステナビリティが大流行りだが、会社がサステナブルであるべきなのは何のためなのかと問えば、未来の社会のため、ということになるだろう。未来の社会とは?未来の個人を創り出す現在の個人の集合である。我々から考えても子々孫々のということになる。


私は、漠然として抽象的なサステナビリティよりも、具体的な、顔のある個人の観点を踏まえてのサステナビリティへの関心が深い。そういえば、石原慎太郎さんに「牛島さん、この世は男と女なんだよ、みんな恋愛小説を読みたいんだから」と言われ、「それはわかります。でも私は組織と個人の関係が気になってならないのです」と答えたことがあった。


その昔、ある巨大組織の一員である依頼者と話していて、「組織って面白いですねえ」と言ったら、「面白くもなんともないですよ」と、吐き捨てるように言われたことがある。大組織の中間にいる方だった。いまはもう退職されているだろう。それが「組織と個人」ということなのだと思っている。


王子の敵対的な北越買収の失敗については、或る日経の記者の方に、「あなたのせいで、日本経済の発展が10年は遅れた」と批判されたことがある。


「私などではなく、北越の方々、上から下までの方々の団結の力です。真っ当なことが起きたのです。」と答えた。正直な感想だった。もちろん弁護士である私にとって、彼の言葉は誉め言葉でしかない。弁護士は社会全体を依頼者として、そのために働いて報酬を得るのではない。目の前の特定の依頼者のためにこそ働くのである。もちろん、その繰り返しが回りまわって世の中全体の法の支配に役立つという信念が背景にあってのことではある。自分の信条に反する仕事は受けない。自由業の良さである。


先に依頼してきた側につくのが原則だ。それから先は、依頼者が了解するかぎり、やり過ぎてしまうことを怖れない。やり過ぎもまた長い視点で、広い発想でみれば、すべて法の支配に役立つ。そう信じている。


「問題は仕事とはなにか」であり、「それは自ら定義するものだと私は強く思っているのです。」とは、なんとも不思議な言葉だ。


言葉は社会が定義する。辞書にはそれがある。仕事とは「する事。しなくてはならない事。特に、職業・業務を指す。」と広辞苑にある。


私が考えていたのは、弁護士としての仕事は仕事であることに疑問の余地はない。しかし、弁護士が小説を書くことは仕事なのかどうか。それは、自分が小説をどのようなものとして我が人生に位置付けているかという問いにつながるということだったのだろう。仕事でないとすれば、遊びになる、という二元論があった。そこには、遊びは人生の無駄事であるという暗黙の前提がある。


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