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平成19年の年賀状 「『我が師 石原慎太郎』、日米半導体戦争、そして失われた30年」・「三回の欠礼、M&Aとコーポレート・ガバナンス、そして人生と仕事」

Japan In-depth / 2023年7月12日 18時0分

最終的には職務代行者であった弁護士3名の方々の努力のおかげで、依頼者にとって、一方で会社を取り戻すことはできないという意味でまことに残念な結果と見える和解となった。しかし、金銭的にみれば、まことに有利な和解ということもできる結果であった。深夜、銀行の支店の会議室で何億という現金を数えるということがあって、決済もつつがなく終了した。


後日談がある。その事件の関連した事件の裁判で、問題となった土地の価格が話題となったのである。バブルのピークでの事件であったが、坪8000万とも1億とも言われていた問題の土地が、数年後のバブル終焉後には10分の1の値段にもならないと聞いた。会社を取り戻すには、和解で100億の金を借りてくる必要があった。それが可能なご時勢だった。


もしそうした和解になっていたら?依頼者は破産したことであろう。当座は不満ではあっても、結果的には幸運な和解であったのだと、依頼者ともども、しみじみと思ったことではあった。






写真)広島市


出典)Yuko Yamada/GettyImages


 


「三回の欠礼、M&Aとコーポレート・ガバナンス、そして人生と仕事」


【まとめ】


・会社は経営者次第、そしてその会社が社会で存在している意義は雇用を維持・拡大するため。


・今の私は「問題は人生とは何か」だと言うだろう。


・これから先に何を求めたものか。自分としてはおぼろげながらも分かっているつもりだ。


この年の賀状には、なぜ「久方振りに賀状を差し上げます。」と書かねばならなかったのか。


確かに、平成16年、17年、18年の三回、賀状を出していない。平成16年、2004年の欠礼については、その理由をわすれることなどあり得ない。もう一回、平成17年、2005年は前年に母が亡くなったが故の欠礼だった。しかし、もう一つは?平成18年、2005年の欠礼はなぜ?


実は、平成18年、2006年の賀状と思われる原稿は、最終稿の形で手元に残っている。前年の年末、翌年の年頭のために賀状を準備万端が終了した後になって、いったいなにが起きたのか。


あの時、目の前、私の事務所のデスクの上には大量の印刷済みの賀状が積まれていた。その光景をよく覚えている。それにもかかわらず、敢えて「出さない」と年末ぎりぎりに、誰もいなくなってしまった事務所の自分の部屋で独りで決心し、その印刷済みの年賀状を放擲したのだ。


平成19年のものと同じく、「久方振りに賀状を差し上げます。」と文案は始まっている。その以前2年分を指していることは間違いない。「その間に何があったのか。目の前の仕事を片づけることに追われていると一年が経っています。私の時間は一週間を単位に、それがあたかも一日であるかのように慌ただしく過ぎ去ってゆくようです。」というのは、翌年の年賀状、実際に出したものと瓜二つ、まったく一字一句違わない。


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