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平成24年の年賀状「リチャード・W・ラビノウィッツ先生のこと」・「様々な葬儀のこと」 

Japan In-depth / 2023年9月13日 13時45分

私も立ち上がって窓際に行き、私たちはそこで立ったまま会話を続けた。


 


エレベータは停まってしまっていたとの報告を受けた。


「12階からだから、歩いても大したことはないだろう」と私は彼に言った。


だが、間もなくエレベータは復旧した。彼はなにごともなかったようにエレベータのなかに入って行き、ドアは当たり前のように閉まった。いつもどおりだった。


「先生、このビルは地震になると有難味がわかりますよ。共同事業者であるオーナーの方が非常にビルの強度についてうるさい方でしてね」と三菱地所の専務だったM氏が、私がこのビルのスペースを借りた当初に言っていたことを思い出し、なるほどこういうことかと感心した。現に、借りているスペースで壊れたところはほとんどなく、レセプションの天井に少しだけヒビが入った程度のことだった。


 


どこか、東京以外のどこかで大きな地震があったのだろうと漠然と考えていた。しかし、震源地がどこであるにせよ、あの津波は予測できようはずもなかった。


夕方近くになると、こんどは人の津波がビルを襲った。目のまえの外堀通りが、帰宅を急ぐ人々で埋まり始めたのだ。


「帰宅できない人たちが20人くらいいます。」と事務方の責任者が私に状況を報告してくれた。その人たちには今晩はこのビルに泊まってもらいます」とのことで、すべて秘書の女性たちとのことだった。私は、先ず、水と食料が非常用に備蓄されていることを思い出して少し安心した。だが、寝具は望むべくもなく薄い掛物があるくらいのことだった。


 


あれから12年になる。


2万人が亡くなった。


その前は、1995年の1月17日だった。28年前のことである。私は南青山のツインビルにオフィスを構えていた。独立して10年。未だ45歳だった。もちろん関西での地震は東京のビルを揺らすことはなかった。ただ、高速道路が根本から折れてしまった画像を覚えている。


 


次は、いつ、どこで?


わかろうはずはない。わからないままに、毎日を平穏に暮らしてきた。これからも、防災にさらに気を配りながら、平穏に生きてゆくことを願うしかない。訪ねてきた日本の法律事務所で大地震に遭ったインドの弁護士さんからは、後日、無事に帰国したとの連絡があった。


 


そういえば、ニューヨークに滞在中に古い高層ビルのエレベータが停まったことがあった。44階だったかにあるアメリカの法律事務所を依頼者とともに訪ねていた折だった。


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