平成24年の年賀状「リチャード・W・ラビノウィッツ先生のこと」・「様々な葬儀のこと」
Japan In-depth / 2023年9月13日 13時45分
ラビノウィッツ先生は、今となるととても懐かしい。私がラビノウィッツ先生と仕事の話をしたのは、1985年が最後だろう。なぜなら、その年の4月18日にはすでにアンダーソン・毛利・ラビノウィッツ法律事務所を辞め、新しい事務所で働き始めているからだ。私は35歳、ラビノウィッツ先生はたぶん60歳くらいだったろう。
どうして自分の事務所から弁護士が次々と辞めてしまうのか不思議でならないと言って、辞意を告げた私をランチに誘ってくれた。ところが私が移る先の事務所がコンペティターだと分かると、突然秘書を通じてランチの約束をキャンセルされてしまうということがあった。そういうものなのかと納得するほかない。私はもうかわいいアソシエートではなくなってしまったのだから。
飛び切りの思い出は、民法の解釈を巡っての日本人弁護士4,5人との議論のときの彼の言動だった。彼の広い部屋で民法の議論していたのだった。
日本人の弁護士が、条文上はそう書かれていても、こう解釈するんですよ、と言って議論を打ち切ろうとする。しかし、彼は納得しない。
時間が経っていく。8時は回っていたろう。H弁護士が腹が減ったのか、やにわにコーヒーテーブルの上に置かれた砂糖の袋を掴み上げると破り開け、ザーッと口のなかに開けた。妙に印象に残っているシーンである。
ラビノウィッツ先生は、自分の大きな机の上に置かれた六法全書、未だ一冊本だった六法全書を掴み上げ、強い近眼の目から眼鏡を外し、民法の該当条文の頁に目をこすりつけるように近づけて、「でも条文はこうなっているじゃないですか」と日本語で読み上げた。私はラビノウィッツ先生が、日本法の問題なのだからといって日本人の弁護士に任せきりにしない態度に素朴に感動した。法律家の鏡だと思った。
若かった私は、毎夜、帰宅すべく東西線の浦安駅を降りてからの15分、独り歩きながらラビノウィッツ先生と英語で仮想問答をしていた。人影のないのを幸い、声を出してラビノウィッツ先生に英語で事実関係を説明し、ラビノウィッツ先生の質問も自分で考えだして英語で喋るのだ。そんなときがあった。検事で2年遅れたという焦りが私を駆り立てていた。
そういうことがあって、その時はそれなりに夢中になっていて、そして多くのことが記憶の闇に潜り込んでしまう。二度と浮かび上がっては来ないだろう。そして私の死とともに永遠に消え去る。
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