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平成24年の年賀状「リチャード・W・ラビノウィッツ先生のこと」・「様々な葬儀のこと」 

Japan In-depth / 2023年9月13日 13時45分

また、あるときには、私の事務所が当時あった青山ツインタワーの地下1階でお姿をお見かけしたことがあった。私がご挨拶すると、強制執行の現場に立ち会っていらっしゃるというお話だった。私が少し驚いて、「え、先生のような大先生がそんな事件でご出馬になることがあるんですか」と申し上げたら、河村先生は、「私は弁護士ですから、どこへでも行くんですよ」と、さらりと仰られた。私はなるほどと感心した。どんなに弁護士として名声を博していらしても、自分は弁護士であるから仕事をする人間なのだというお気持ちが痛いほど伝わってきた気がしたのだ。


その河村先生のご葬儀は上野寛永寺で、いわば三菱地所葬といったもののように執り行われた。私の存じ上げている三菱地所の方々のお顔を何人も拝見した。もちろん、日本生命の方々もいらした。河村貢弁護士の会社法務における偉大な存在感が横溢した葬儀だった。


 


こんな葬儀にも出たことがある。


或る顧問先である。著名な会社で、会長が亡くなられたので青山葬儀場で大きな社葬が営まれたのだった。私にも出席の要請があり、当然のように出かけた。もちろん、黒服に黒ネクタイである。青山1丁目の駅から葬儀場まで人の波が途切れることなく続いていて、私はさすがにこの会社ともなるとこんなに参列者がいるものなのかと感心してしまっていた。


ところが驚いたことに、会場へ着くととても高い席を指定された。喪主を含めて3番目だった。2番目は社長である。どう考えても一顧問弁護士に過ぎない私が就くべき席ではない。私は戸惑いながら、隣の社長と二言三言話した。そして、どうして私が立場に不相応な順序の席に座ることになっているのかを考え、すぐに私なりに悟った。


社長が私を社内に最高の権威ある顧問弁護士として扱って見せつけることを必要としたのである。社長は未だ就任して間がなかった。その会社では数年前に権力をほしいままにしていた社長が突然亡くなるということがあったのだ。それで、その亡くなった社長によって会長に祭り上げられてしまって実権を全く喪失していた会長が勇躍蘇りかけた。ところが、社内力学はすでにその会長が社内で実権を再び振るうことを許さない状況になっていた。集団指導体制の一人として、会長は新しい社長を選ぶことに甘んずる他なかったのである。


そうして決まった新しい社長の下では、会長、社長、そして専務が実力者であり、かつ、その下の常務3人も一定の発言権を有していた。


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