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平成26年の年賀状・「本を読むことこそ我が人生」・「ヘミングウェイの『移動祝祭日』と石原さんのこと」

Japan In-depth / 2023年11月16日 12時26分

「ぼくを独り占めにしているのは、このノートと鉛筆だ。」と書いた後、ヘミングウェイは、「それからまた私は書きはじめ、わき目もふらずストーリーに没入した。今はストーリーが勝手にするむのではなく、私がそれを書いていた。」





それからは、「もう顔をあげることもなく、時間も忘れ、それがどこなのかも忘れて、セントジェームズを注文することもなかった。」





美しい娘が店に入ってくる前に、書いている小説のなかの少年たちが酒を飲んでいるのに渇きをおぼえ、セントジェームズ、あのマルティニーク島産のラム酒を注文する場面があるのだ。





ノートと鉛筆に没頭している間にも時は経つ。「短編を書きあげると、最後の一節を読み直し、顔をあげてあの娘を探したが、もう姿は消えていた。ちゃんとした男と出て行ったのならいいな、と思った。が、なんとなく悲しかった。」





そして牡蠣と辛口の白ワインのハーフ・カラットを注文する。





「短編を一つ書き終えると、きまってセックスをした後のような脱力感に襲われ、悲しみと喜びをともに味わうのが常だった。」





なんという充実した時間だろう。





「パリに渡った当時のヘミングウェイ夫妻の懐は決して貧しかったわけではなく、ふたりはむしろ裕福な部類に属していた。」ハドリーが実家などからお金を持っていたのである。「ハドリーの得ていた年収だけでもパリの労働者の平均的な年収の約十倍にも匹敵していたという。」訳者の高見氏の解説である。(314頁)





意図的に選び取られた貧しい暮らしぶり。





「一介の無名の若者が異郷の地で貧困と戦いながら愛の巣をはぐくみ、文学修行に励む――そのロマンティックなイメージにひたり、そのイメージを生き切ること、それが当時のヘミングウェイを駆り立てていた原動力だったのだろう。





当時のハドリーの資産、それがもたらした収入について、ヘミングウェイは本書で一切触れていない。ということ自体、彼の依拠していたロマンティックな虚構のイメージが、その人生にとっていかに重要だったかを物語っている。」





高見氏はさらに続けて述べる。





「自伝とは、往々にして過去の再現というより過去の再構成であることが多い。作者の恣意が、そこで大きな役割を果たすのは、いわば不可避のことと言っていい。」





私はさらに想像を広げる。





自伝は伝記とは異なるのだ。自分が自分の過去について振り返ってそれを文章にするとき、作家は自らの過去を創っているのだ。そこでは記憶の取捨選択は恣意ではなく、必然として行われる。「確かにこうだった」と。自分の人生の回想なのだ、自分の記憶以上に確実なものがあるはずがない。これが真実だという老作家の思いのまえで、事実はどれほどの重みももちはしない。





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