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「平成28年の年賀状」団塊の世代の物語(1)

Japan In-depth / 2024年1月12日 11時18分

私たちのクラス会が盛況だったことになんの不思議もありはしない。1949年生まれを中心とした子どもたちは団塊の世代の最後である。広島の団塊の世代は、意外なほどに広島に住んでいる者が多い。大学は広島以外の地、たとえば東京であったり京都であったりに行ってはいても、その後になると当たりまえのように広島に戻ってきたのだ。定年になるまで全国に散っていても、最後には広島に戻ってくるのだ。





中学を卒業したのが1964年、東京オリンピックの年代なのだ。高度成長が始まって4年。明日は今日よりも良い日であるのはあたりまえの時代だった。





広島はそれなりに大きな街で、就職先としても広島県庁があり、広島銀行があり、さらに三菱重工の造船所があったうえに、なによりもマツダの本社もあった。





だから広島の娘たちは広島に住み続け、年ごろになると広島の青年たちと結ばれ、子どもをつくり、もちろん広島に住みつづける。県外の大学に行って広島に戻ってきた男たちは、卒業したとたんに広島の男にいとも簡単に脱皮して広島の女性と結ばれる。原色好みで派手な装いの好きな広島の女の子たちは、大都会の空気を吸って大人になったつもりの若い男たちにはとても魅力的だったのだろう。広島男と広島女が結ばれるべくして結ばれたのだ。





そうした広島に住みつづけている連中は、子どものころと同じに毎日のように会って、おしゃべりに夢中になり、同じ明日を迎える。要するに明日が2万回あったということにすぎないのだ。





広島で一番のリーガロイヤルホテルの頃合いの部屋を借りての立食パーティだった。受付役の二人の女性に64人のうち30人が集まったと教えられた。死んでしまった者は未だほとんどいない。たぶん分母は60を切っていないとのこと。遠くから参加したのは、東京で弁護士をしている私だけだという。未だまだ現役の弁護士でまったく暇な日常ではないのだが、なんの前触れもなく突然とどいたメールに、ぜひ参加しようという思いがその場で湧きあがった。





たぶん、あの花の女王のことがどこか頭にあったのだと思う。





会場のリーガロイヤルホテルも私には懐かしいホテルだ。未だ両親が広島に住んでいたころ、なんども家族連れで泊まったことがあった。それももう二、三十年もむかしのことになる。





広島には、或る縁があって鞆の浦の住民協議会のお手伝いをして毎月のようにまる一年通っていたこともある。10年ほど以前のことになる。そのときにはいつも姉のマンションに泊めてもらっていた。夜に着いて朝には出てしまう。そんな広島への忙しい往復だった。





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