1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「平成28年の年賀状」団塊の世代の物語(1)

Japan In-depth / 2024年1月12日 11時18分

問われもしないのに彼女は話し続けた。「うち、早うに亭主が死んじゃって生命保険がいっぱい入ったの。」





なんの屈託もない。今の生活の安定ぶりを自分からそう大声で説明してくれた。





私が子どものころ、いつも「花の女王」と呼ばれてクラスじゅうの憧れの的だった女の子。みなには岩本さんという姓で呼ばれていたが、親衛隊のようにいつも彼女のまわりを取り囲んでいた3,4人の女の子たちだけが「えーちゃん」と特別の呼び方で媚びることを許されていた。 





大阪でひと夏を過ごした彼女が広島にもどってきて大阪弁を使い始めると、取り巻きの少女たちも当然のように大阪弁を使うようになり、そのうちにまたすぐに広島弁に戻ったこともあった。





しかし私の頭のなかでは、クラスのなかでいつも華やかな雰囲気を漂わせて崇拝者に囲まれていた花の女王のイメージだった。





きれながの、ほんの少しだけつりあがりぎみの涼しげな目とその上の濃く長い三日月の形をした眉。周囲に未だ幼さを残した女の子たちがたくさんいるなかで、独り、成人した女性の雰囲気をただよわせていた。





私には近寄りがたい存在だったろうか?





いや、彼女には独特の笑顔があった。笑うと顔全体が微笑みとなってあふれだし、目の前の相手を包みこむような、それでいてどこかまだ幼児のようなあどけない表情になる。だから、いつもなにか口実をかまえては冗談を投げかけないではいられない女の子だった。私は口には自信があった。そんな少年だったのだ。





今、目のまえで自分のシャンパングラスをかかえて微笑んでいる笑顔は、小学生のころと少しも変わらない。私にはそう感じられる。





私には、彼女について特別の、鮮烈な記憶があった。





そうだった。もう中学の受験が終わったことのことだった。風邪をひいて熱をだして欠席していた私の自宅まで、同じクラスの女の子が学校のプリントを届けてくれたことがあった。あのとき、コンクリートの玄関のタタキにもう一人の女の子と二人立って、着ていたカーディガンの裾を強く下へ引っぱっていたときの子が岩本恵津子だった。強く下に引っぱっているので、まるい二つの山がうっすらと浮彫りになっていた。そんな小さな発見に12歳だった私はぎくりとしたのだ。





岩本さんの水色のカーディガンの胸側の部分が白色で表側のほとんどを占めるほど広い。その白い部分に7センチ角くらいのあずき色の格子縞が入っている。ずいぶんのちになってのこと、ムリーリョの「ベネラブレスの無原罪の御宿り」の絵の解説を読んだときに、あっ、とあの時の彼女を思い返したことがあった。聖母マリアのアトリビュート(象徴)、青色は天の真実、白は純潔、赤は神の慈愛だと色の説明書きがあったのだ。岩本さんのあのときのカーディガンはその色と一致していた、と。12,3歳のうら若き少女の姿に描かれているのだという。確かに彼女は12歳だった。





この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください