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「平成30年の年賀状」団塊の世代の物語(2)

Japan In-depth / 2024年3月13日 23時13分

エレベータを出たところで、入り口のほうを見ると、両肩にはおるように身につけている淡いピンクのロングコートに隠れてはいるが、ぜんたいにウェストがゆったりとしている岩本英子の姿がそこにあった。少し前、同窓会であったときの印象よりもふっくらとした感じだった。あのときはずいぶんと着やせするように工夫していたのか。今日は、ゆったりとした上下別々の服を身に着けているのがコートのしたからのぞいている。黄色のストールが手にしたバッグと同系だった。とても74歳の年齢の女性にはみえない。せいぜい60代の初めか。もっともどちらでも大木にとっては同じことなのだが。





とても健康だということが、そのしっかりとした、まるで天井からピアノ線で吊るされたようなしっかりとした立ち姿から一見してみてとれた。





コートのしたは濃紺のスーツだった。白のフリルのついたブラウス。すらりと伸びたパンツのしたに、ほとんど白に近い、ごく薄い色のベージュのミドルヒール。驚いた。ふっと62年まえを思い出す。あのときには水色のニットのカーディガンを着ていて、そのうえから大きくなり始めた二つの胸のかたちが見てとれたのだった。





ベルトのバックル、大きな四角形の金色が目についた。靴と同じ色をした革ベルトだった。そろいとしか思えない。レモンイエローの大型のバッグを右肩からさげていた。ブランドはない。あつらえたもののようだった。大木は自分用に仕事のためのカバンをオーダーすることがある。だから値段は想像がつく。50万はするだろうか。いや、もっとかもしれない。女性ものはわかりようがない。





「やあ、ビルの警戒ぶりにおどろいた?済まなかったね。でもビルの受付の女性は親切だったろう」





快活な声をなげかけた。





大木は、いそいでクレジットカードと同じ大きさのカードでいったんゲートの外側へでた。岩本英子のほうに急ぎあしで歩みよると、昔とすこしも変わらない微笑みをたたえて待っている。少しこわばっているところが、かえって昔の岩本英子をほうふつとさせた。





「さ、これを使って入って」





来客用の入館カードを手わたす。英子の手と大木の指先がほんのすこし触れ合った。その一瞬、





「外部のくせに」





耳に英子の声が小さく響いた気がした。





まさか。63年も前のことなのに。





しかし、あのときの英子の声、その調子は大木の大脳のどこかのなかに信号としてはっきりと刻みこまれていて、生き生きと残っている。英子の血管がうきだしてきている手の甲に大木の指先が触れたそのせつな、あの信号が瞬時に大脳のなかで再生されて、耳もとで響いたのだ。





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