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「令和3年の年賀状」団塊の世代の物語(5)

Japan In-depth / 2024年6月12日 19時0分

大木は英子の指先が小刻みに震えていること、それを気取られないように両の手を合わせ、テーブルの上に重ねて強く押しつけることで隠そうとしているのを見てとった。どうやら英子にとっては人生の重大事らしい。耳のイヤリングまでが揺れているような気もした。





「よくご存じの方ですよね」





「ああ、そのとおり。仲良しといっていい関係だと思っている。」





微笑を浮かべ、わざと気軽な声で答を返した。





「ですから」





英子の固い、凝ったような表情は変わらない。





「だから、どうしてなのかを聞いているのさ。





三津野さんならいますぐ、いま、ここでスマホをかけてもいいような仲だけど、でも」





「でも?私じゃだめ?」





英子の顔の筋肉がほんの少しゆるみ、安堵の色がみてとれた。





「とんでない。喜んで。





でも、どうして」





大木は二、三回シナモン・スティックでコーヒーカップの縁をぬぐうように大きな円を描いた。いつもこれが終わるとすぐに取り出すのだ。





ほんとうは、ここでシナモンの棒の先を舐めたいのだ、ちょっと噛んでみたい。だが、それをするのは目のまえにいる相手による。さすがに英子のまえではやめておいた。





いつも思うことなのだが、シナモン・スティックというのは不思議な茶色の棒切れだ。うるわしく銀色の紙に半身が包まれて、優雅にコーヒーカップの横に長く横たわっている。取りあげただけで香りがただよう。軽い、浮き立つような刺激にみちた香りだ。





だが、口に含んで舐めてみても美味しくもなく、齧ってもシナモンの香りが再びあふれ出すというのでもない。不愛想きわまりないしろものだ。そうとわかっているのに、大木は毎回カプチーノを頼むたびに、シナモンの棒を舐めたくなる、齧りたくなる。あの、夢のようなニッキの香りがコーヒーとおなじに口の中に広がりそうな気がするのだ。もう何回も試してみてそうはいかないとわかっていても、カプチーノを頼むたびに誘惑に駆られないではいられない。幼児体験かもしれないと思ったこともある。いや、カプチーノを飲むようになったきっかけとからんでいるという自覚もある。





ある、もう若くない女性から相談ごとがあるからと言われ、オークラのオーキッドの半分個室のようになったスペースに座ったときのことだった。あるレストランでサービスのトップをしていた女性で、お店ではなんどもその日の料理の材料の話、シェフの腕前のこと、彼女がほめてくれた大木のスーツの柄やワイシャツ、ネクタイのはなしなど、とりとめのないやりとりをしてきた。





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