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「令和3年の年賀状」団塊の世代の物語(5)

Japan In-depth / 2024年6月12日 19時0分

それが、突然電話をしてきたのだった。もっとも電話というのはいつも突然ではあるのだが。大木は手帳をながめて日時を決め、オークラのオーキッドを指定した。





なにを飲まれますか?とメニューを手にたずねたら、その女性がカプチーノをとこたえた。それまで大木はなんども目にしたことはあったが、自分で飲んだことはなかった。その女性が、運ばれてきたカプチーノの泡のなかにシナモン・スティックをゆっくりと差し入れる動作が、なんとも優雅だった。指でつまむ部分が縦に刻まれた銀紙でコックの帽子のように飾られている。彼女は右手の親指と人差し指でつまんでいた。残りの指がカップをおおっている。かきまぜる1,2秒がコーヒーカップの泡におまじないをかけているように見えた。





大木はいそいでウェイターを呼んでいつもの紅茶、それも濃いめの紅茶でのミルクティーの注文を取りけしてカプチーノに替えてもらった。スティックをエスプレッソにすっと突っ込んでやろうと決めていた。何年か前のことだ、いつだったか。





彼女は、シナモン・スティックというのは、浅岡スパイスという会社のものが一番で、その会社はスティックではなくステッキと呼んでいるのだとも教えてくれた。商売柄とはいえよく知っているものだと思いながら、大木はペンギンが「ステッキ買い込んで黒い鞄を持ったなら素敵なお医者さん」という、昔のCMソングを思いだしたのを憶えている。





コーヒーカップから取り出したシナモン・スティックの先端から泡が消えてゆく。香りが移ったエスプレッソを一口すすると、その先っぽを見るともなくみる。濡れるまえのしゃっきりと張りきっていた姿が、水分を吸いこんだせいでかピンとした丸い管だった先端部に皺がよってしまってぐにゃぐにゃになってふやけてしまっている。もうどこに管の穴があったのかも怪しくなっている。





スティックをすこし持ち上げて、鼻先であらためて香りを確認してみる。香りはほとんどない。その瞬間だった。あ、舐めてみたいと感じたのだ。そのときはさすがにそうはしなかったのだが。





別の機会に舐め、さらに齧ってみて、なんだつまらないとおもった。なんの味もしないのだ。両の前歯の先で潰された棒きれからシナモンの香りのするコーヒーが口じゅうに広がるのを期待していたのだ。だが、現実は違った。





英子は三津野とのわずかな過去を独りがたりに物語った。





話し始めると、大木の顔を見てはいない。口はとまらない。





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