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「令和3年の年賀状」団塊の世代の物語(5)

Japan In-depth / 2024年6月12日 19時0分

意を決した。





「で、僕は三津野さんに、なんていえばいいのかな」





「私の名をいっていただけば、憶えていらっしゃるかもしれない」





「なんだって?やっぱりね。





それじゃ、紹介なんていらないじゃないか。もともとそんなに深い知り合いなんだったら。」





大木は自分の心に嫉妬がきざしたのを感じた。英子はなにもなかったように、





「だって、もう59年もお会いしていないんですもの」





「そうか。それじゃ、紹介してくれってのもわかるな。きっかけがないと、こんにちわ、ってわけにはいかないよね。





でもね、しつこいようだけど、三津野さんはあなたのことをきっと憶えていると思うよ。あなたに会ったことのある男性で、あなたを忘れてしまう人なんていないよ。」





大木は自分が嫉妬しているのをもう一度確認した。男性として、そんな思いはもう金輪際したくなかったのだが、我がことながら、心ひとつでどうなるものでもありはない。





運ばれてきたエスプレッソの上におおきく盛り上がった泡に、ちょうど真ん中をねらってぐっとシナモン・スティックをまっすぐに突き刺すように差し込んだ。泡に模様のない、スティックをつかうタイプのカプチーノの方が流行りだと知ってはいても、大木にはスティックのないカプチーノは考えられない。いつだったか、そもそもカプチーノは原産地のイタリアではシナモンなんて関係ない、アメリカ人がそんな飲み方を始めただけだと聞いたときも、でも、カプチーノはシナモン・スティックだよとしか思わなかった。





自分のなかのなにかを振り切るように乱暴にシナモン・スティックを右手の親指と人差し指で摘みあげると、





「英子さん、あなた、自分でさっさと三津野さんに会いに行けば良さそうな気がするけど、ま、なにかあなたなりの事情があるんでしょうね。





はい、はい、わかりました。





ちょっと電話してみましょう。





でも、なんて言おう。





英子さんが会いたがっているってだけじゃ、なんだか老人のキューピッドだしなあ」





英子は声をあげて笑った。安心したのだろう。





「もちろん。





私、三津野さんに私の上場会社の少数株主戦略のアドバイザーになっていただきたいの。」





「そうか。わかった。でも、いろいろなところに関係している方だから、大丈夫かな。わからないぞ」





大木はそう答えてシナモン・スティックをカップにもどすと、大きくカップのなかで円を描いてから引き上げた。





三津野周一は滝野川地所の社長だった男だ。滝野川地所の社長としては豪腕で鳴らした。部下を叱責するときには灰皿がとんでくるというまことしやかな伝説があった。社長を8年やって会長を8年。会長のあいだもCEOのタイトルを手放さなかった。いまや相談役という身分になっている。もちろんCEOではない。会長になってすぐ、業界団体の会長にもなった。もらった勲章も旭日大綬章だから、むかしでいえば勲一等大綬章ということになる。なんでも、会社の格と業界団体の会長職を務めたことだけではそこまでいかないところを、刑務所の収容者の更生に尽くしたということで、国交省だけでなく法務省も推してくれたということらしかった。大木が三津野本人からきいたことだ。





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