カーター大統領への追悼 その光と影
Japan In-depth / 2025年1月8日 13時27分
1977年1月20日のカーター大統領の就任式は寒い日だった。だが快晴だった。私ももちろんその就任宣誓を至近距離の報道陣席でみつめていた。宣誓の後、議事堂からホワイトハウスまでの1キロほどの距離を自動車のパレードで行進するのが通常の慣例だったが、カーター夫妻は途中で街路に降り立ち、手をつなぎながら、ホワイトハウスまで徒歩で進んだ。56歳とはいえ、若さを感じさせるカーター新大統領の力強い足取りは新鮮さ、明るさを強く実感させた。
ワシントン取材を始めて間もない私が目前に見たこの展開は明るい時代、新しい政治の到来を思わせた。以後の4年間の重苦しい動きを想像もさせなかった。私が直接に接触したカーター大統領は倫理や善意を重視する誠実な人物にみえた。頻繁な記者会見に加えて、カーター大統領は長年、アメリカ合衆国が事実上、保持してきたパナマ運河を地元のパナマ国に返還した。米側保守派の激しい反対を振り切っての措置だった。当時、軍備を拡大し、各地で共産主義勢力を膨張させていたソ連に対しても融和的な態度をみせ、平和や友好を強調した。一方、アメリカの軍事力はその増強を抑制する方向へ向かった。
私自身、カーター大統領が日本で初めて開かれたG6先進国首脳会議に加わる旅に同行した。その後、同大統領がエジプトやイスラエル、さらにはポーランド、イラン、インド、韓国などを歴訪し、人権尊重を説く旅にも同行した。間近で接すれば接するほど、カーター氏は誠意や善意の人物だと感じるようになった。とにかくどんな問いかけにも、真正面から応じ、一生懸命に答えるという姿勢なのだ。
とくにカーター大統領は日本訪問の直前に日本人記者数人をホワイトハウスでの会見に招き、質疑応答に2時間近くも費やしてくれた。私も加わり、何度も質問することができた。そのたびにカーター大統領はソフトな南部なまりの言葉で、懇切丁寧に答えてくれた。外国の報道陣のためにこれほどの時間と熱意を費やすアメリカ大統領はその後もみたことがなかった。
カーター政権は日本メディアには特に友好的でオープンだった。ワシントン駐在の日本人記者団とホワイトハウスのスタッフとのソフトボールの親善試合まで許したほどだった。ただし結果は日本側の惨敗だった。その理由の一つはカーター政権のスタッフには若者が多いことだった。20代、30代の青年男女がホワイトハウスの要職にも多数、就いていたのだ。
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