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団塊の世代の物語(12)

Japan In-depth / 2025年1月15日 23時0分

言われたときには実感がなかった。でも、あのときには『ああ、これがあの川野さんの教えなんだ。今がそれを実行するときなんだ。』そう感じた。だから、そのとおりやった。」


「そうね。そのとおりね。誰かが見てくれている、という感覚ほど人に癒しになるものはない。そういうことね。」


<英子にはまんざら他人ごとじゃないのかもしれないな>


気取られないように、少し声を励ました。


「さて、プラザ合議とその後の日本の話をしよう。そいつは現在の日本にそのままつながっている。失われた30年という言い方もある。


プラザ合意が第二の敗戦だったって、もう言ってたかな。」


「ええ、おっしゃいました」英子の明るい声だった。


「そうだったね。その後のバブルに浮かれている間に、日本は大きな軛(くびき)につながれているがゆえに坂道を徐々に転げ落ちていった。いまこの瞬間も転げ続けている。人々が『東京23区の土地を売ればアメリカ全土が買える』と浮かれていた時こそ、そのはじまりだったってわけだ。」


「そうね。峰夫もそんな具合だったもの」


「実はね、プラザ合意の1年後に締結された日米半導体協定のすぐ後、こんな話を聞いていたんだ。


牧本次生さんの部下だったかたと或る勉強会を通じて親しかったんだ。牧本次生さんていえば、日本半導体の父親みたいな方で、僕もお名前は存じ上げていた。日立の専務をしていたときかな。


その牧本さんの部下だった方が勉強会の後の食事の席で、「日本はアメリカの激しい怒りを買ってしまった」と牧本さんが怯えたようにおっしゃっていると教えてくれたんだ。


『アメリカが通商法301条にもとづく制裁をしたろう。それも半導体協定を締結してたった半年後のことだ。パソコン、カラーテレビ、それに電動工具が対象だった。この3つに100%の報復関税を賦課してきたんだよ。


半導体協定締結のほんの半年後だぜ。


もちろん、中曽根総理は急遽アメリカに飛んでレーガン大統領に会ったさ。


日本側はロン、ヤスってファーストネームで呼び合っている二人の関係に大きな期待を抱いていた。中曽根さんならレーガン大統領と個人的に親しい仲なんだから、きっとなんとかなるだろう、ってね。


会ったさ、勇んでね。中曽根さんはレーガン大統領に、『自分が責任をもって半導体協定を順守するので、この制裁ばかりは解除してくれ』って頼みこんだっていうことだ。頼み込まれたレーガンはなんて答えたと思う?』


「知らない。でも、結果がダメだったことは知っている。」


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