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少年刑務所で行われた“奇跡の授業”「目の前にる、重い罪を犯した彼らは素直だった」

週刊女性PRIME / 2024年3月3日 11時0分

詩の授業の様子。写真手前から寮美千子さん、松永洋介さん。撮影/平野湟太郎

「彼らの気持ちに触れて心の森林浴をさせてもらった。いつも帰り道は、すっきりさわやかな気持ちになっていたんです」

 作家の寮美千子さんと夫の松永洋介さんは、彼らと過ごした授業を冒頭のように表現した。

 累計10万部。詩集として異例の売り上げを記録した、奈良少年刑務所の受刑者たちによる詩集『空が青いから 白をえらんだのです』(新潮文庫)の第2弾『名前で呼ばれたこともなかったから』が1月29日に発売された。

少年刑務所の受刑者たちが紡いだ詩

 奈良少年刑務所に収監されているのは、少年院とは違い、強盗・殺人・レイプ・薬物違反などの重い罪を犯した17歳~25歳の男性だ。

 この詩集の編者の、寮さんは松永さんとともに2007年から奈良少年刑務所が閉庁するまでの9年間、受刑者たちに絵本と詩の授業を開いてきた。

 怖くはなかったのですか? という質問に寮さんは、

「お話をいただいたとき、正直戸惑いはありました。私ひとりでは怖いという思いもあったので夫と2人ならお受けすると伝えたら承諾してもらえたので、2人でやらせてもらうことになったんです」

 寮さん、松永さんは口をそろえて、

「全部で186人の子と向き合って怖い思いをしたことは1回もないし、彼らがキレるということも1回もありませんでした」

 と振り返る。

「全員が本当に素直な子で何度も“どうしてこの子がそんな恐ろしいこと(事件)を?”と思わずにはいられませんでした。彼らが何をして収監されているかは開示されないし聞いてはいけないのですが、自分から言ってくる子、事件が大きく報道されて犯した罪がわかる子もいました。ただ目の前にいる彼らとその罪が結びつかなかった」(寮さん)

 奈良少年刑務所の「社会性涵養(かんよう)プログラム」での絵本と詩の授業は半年のプログラムで全6回。

 毎期10人ほどの受刑者が参加するが、このプログラムを受けるのはコミュニケーションに問題を抱えている受刑者が対象だった。

 彼らは総じて「自己肯定感が低い」と寮さんは感じたという。

「そのままの自分を受け入れられた経験がないんです。犯罪の背後には私たちが想像できない事情、例えば虐待や貧困、いじめなどさまざまな要因があって追いつめられてしまった行為なんだと思いました。

 授業をしていく中でどんどん変化していく彼らを見て、人は変われるのだと思いました」

 逆に、寮さんが彼らから教えられることも多くあった。

「私たちが当たり前だと思っていることが彼らにとっては当たり前ではない、と学びました。童謡の『ぞうさん』を題材にしたことがあるのですが、歌いながらみんなで手を振って教室を回るんです。

 一見シュールな光景ですが、子どもらしい子ども時代を送れなかった彼らにとっては癒しにつながる、と教官から言われて。彼らは照れながらも無邪気に喜んでやっていました。ところが1人だけ“幼稚だから嫌だ”と頑なに拒否する子がいて、彼は『ぞうさん』を知らなかった。

 幼稚園にも小学校にも通っていなかったから、聞いたことがないんです。それがバレたくないから拒否していた。そのときハッとしましたね。この日本に『ぞうさん』の歌を知らないまま育ってしまう子がいるんだと。『宿題』という言葉を知らない子もいました。そんな子たちがここに来ているのだと改めて教えられました」

 彼らの事情を知る一方で、被害者がいるのもまた事実。中には殺されてしまった人もいるのに加害者が寛容な扱いを受けていることに否定的な声も、もちろんある。

「被害者の立場になればそう言いたくなることは当然だと思います。けれども受刑者をただ懲らしめても更生にはつながらない。出所後に支援の手が止まった結果、再犯をしてしまう元受刑者もいます。未来の加害者をなくすことで、被害者もなくすことができる。そう思うんです」

 SNSの普及により過去に罪を犯した者は監視され続ける。心から更生したいと考えている人間に石をぶつけ続けることは、新たな被害者を生む行為なのではないだろうか。

 彼らの心の鎧の奥にある部分を感じてほしい──。

〈地図〉

子どものころ マンガに夢中になる小学生がいても
地図なんかに夢中になる小学生は あまりいないだろう
でも ぼくはマンガよりも 地図が大好きだった
地図には ぼくが暮らす施設が載っていた
地図には 離れて暮らす母の団地が載っていた
地図には 団地の近所の公園やスーパーも載っていた

施設では 先輩のいうことが絶対で ぼくたち年下は毎日殴られた
歯を折られた友だち 顔に火をつけられた友だち 風呂で死にかけた友だち
大切にしていた流行りのカードやゲームも
数えきれないほど取られ 売り飛ばされた
まわりの大人は 大事にならない限り助けてくれず なんの役にも立たなかった
そんな施設が 先輩たちの城であり ぼくたちの牢獄だった
苦しくて 無力で どうしようもなくて
こんなところから早く出たくて 毎日だれかが泣いていた

そんなとき 地図を見れば 少し 心が和んだ
数十キロ離れていても 地図を見れば 母と繋がっている気になれた
思い出をたどるように 母と通った道や行った場所を 夢中で探した
みんなが好きなマンガより ぼくは地図が好きだった

ぼくが生きていて 母が生きている時間が 十二年
ぼくが生きていて 母が死んでからの時間も 十二年
ぼくにとって一つの節目なので 母に捧げる詩を書きました

【解説】「施設で育った彼は“刑務所のほうがマシです”と言いました。実際に屋根があるところで寝られて3度ごはんが食べられる状況が当たり前ではない子が多いんです」(寮さん)

〈あたたかい手〉

ねえ かあさん
あなたの手は
ときに 強く抱きしめてくれた
ときに やさしく涙をふいてくれた
ときに 怒られ 叩かれ 冷たい手だと
感じたけれど
どんなときでも
あなたの手は あたたかい手

そんな手を持つあなたが 大好きです

【解説】「作者のAくんが“自分は、親とは赤ん坊のころ、2年だけしか一緒に過ごせませんでした。だから顔も覚えていません。こんなお母さんだったらいいなあ、という夢を書きました”と言うので、びっくりし、泣けてきました。安心、安全な場所だからこそ彼は本心で詩が書けたのだなと思います」(寮さん)

〈時流〉

サンタさんはいない より
おとうさんはいない を早く覚えた
いつ帰っても だれもいない家には
知らぬままであるべきことが 散らかっていた

ありがとう より
ごめんなさい を多く使った
求められているものを 持っていなかった
母だから こんなぼくでも 許してもらえる
愛してもらえる とは限らない

自分の命を背負うには まだ若すぎた
孤独を嫌う者で 群れをなし
寝床を探して 恥さらし
腹を空かして 見境をなくした

わたしは あの日から大人になった

いまは 家族と呼べる人がいる
わたしは どんなときでも わたしでしかないが
いまのわたしを 必要としてくれる人がいる
だから わたしは どこでも幸せだ
いま 過ちを犯しても 待ってくれている人がいるから

あの日から 遠くなればなるほど
おかえりなさい が聞きたくて

【解説】「結婚して家庭を持っているのかなと思っていたら違いました。親がいなかったり事情がある子どもたちが空き家に集まって暮らしていたんです。彼は“偶然集まった仲間だけどその仲間が僕の本当の家族です”と。彼は偶然と言ったけれど偶然ではない。日本にストリートチルドレンはいない、とよく言われますが見えないだけで実際にいるのだと胸が痛みました」(寮さん)

寮 美千子さん●1955年、東京都生まれ。'86年、毎日童話新人賞、2005年泉鏡花文学賞受賞。主な著作に絵本『おおかみのこがはしってきて』ほか、『あふれでたのは やさしさだった』、『なっちゃんの花園』など

松永洋介さん●ならまち通信社代表。奈良の情報を発信し、'07年~'16年まで奈良少年刑務所の「社会性涵養プログラム」の講師を務める

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