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「暴力行使の本質」を考える 川崎市・登戸カリタス小学校殺傷事件|久田将義

TABLO / 2019年5月31日 9時51分

岩崎容疑者はここまで逃げた。血だまりの後も(撮影◎久田将義)

川崎市多摩区で私立小学校の児童・保護者らが刃物を持った男に襲われ、2人が死亡し、17人が重軽傷を負った事件を巡り、社会福祉士で貧困などの問題に関わるNPO法人代表の藤田孝典さんが、Yahoo!ニュース(個人)で「川崎殺傷事件『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」と呼びかけた。

すると、これに対する激しい反発がネット上にあふれたとのことで、こんどはジャーナリストの江川紹子さんがやはりYahoo!ニュース(個人)で、「『1人で死ね』ではなく~川崎19人殺傷事件で当事者でない1人として言えることできること」と題した記事を公開した。

両氏の主張の要点のひとつは、事件の起点には犯人の「自殺願望(決意)」があると思われる、ということだ。そして次に、犯人がどのように自殺願望を持つに至り、それが無関係な人々への攻撃につながっていくプロセスを知ることが事件再発を防ぐ上で重要ではないか、というものだ。

僕は、両氏の主張に反対ではない。ただこうした視点と同時に、「暴力の行使とは何か」を考えて見ることが必要だと思う。今回の事件の犯人が(あるいは類似した事件の犯人らが)、どんな理由から自殺願望を持つに至ったのであれ、彼は自ら死を遂げる前に、他者に対して暴力を行使することを計画し、実行したのだから。

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自衛のためのやむを得ないケースを除き、暴力の行使とはほとんどの場合、強い立場にある者が弱い立場にある者に対し、先制的に行うものだ。軍隊同士や別種の暴力集団同士の戦闘行為には別の側面もあるが、これにしても事前に準備する余裕がある場合は、相手を凌駕すべく戦力を増強したり、術策を巡らせたりして、優位な立場を占めようとするのが一般的だ。

一方、「窮鼠猫を噛む」との言葉もあるとおり、追い詰められた弱者が強者に噛みつくこともある。だが、これにしてもやはり、弱者は強者の不意を突くべく奇襲を計画するなどし、優位を占めようとするのが普通と言える。

次に、暴力を行使する者の目的は、相手に耐えがたい苦痛を強いることで、自分の利益を確保し、願望を遂げることにある。

そして、この利益・願望の形や大きさが、行使される暴力の強度や態様に影響を与える。例えば、暴力によって他の誰かに勝利し、その成果に対して第三者や社会からの称賛や肯定的評価を期待している主体は、暴力の行使に当たり、第三者や社会の視線を気にする。そして、残酷すぎる暴力には肯定的評価が寄せられないと悟れば、暴力の強度を抑制することになる。民主主義国家の警察組織が、その端的な例と言えるかもしれない。犯罪者を制圧するためであっても、警察は「やり過ぎる」ことを禁じられている。

一方、暴力団同士の抗争にも、暴力行使を抑制する仕組みが働くことがある。例えば、組織Aと組織Bの抗争で、Aが勝利しBが壊滅したとする。だが、その抗争の過程であまりに多くの血が流れていれば、社会はAの存続を許さない。暴力をアイデンティティーとする組織にとっても、その過剰な行使は、自らの首を絞める結果をもたらしかねないわけだ。

では、今回の川崎の事件の犯人の目的は何だったのか。すでに本人が自殺しているので、遺書のようなものが発見されない以上は想像してみるしかない。

事件に対する社会の反応から逆算する形で想像するならば、犯人の目的は社会に衝撃と不快感、無力感を抱かせることにあったのではないだろうか。犯人はこのような願望を抱いた時点で、「1人で死ぬ」ことを選択するような存在ではなくなっているのだ。

想像で不足なら、児童8人が死亡し、児童生徒15人がけがを負った大阪教育大付属池田小学校の事件(2001年)をヒントにすることもできる。犯人の宅間守はいっさい反省の色を見せることなく、死刑になるまで毒を吐き続けた。

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犯人の願望が上記のようなものであるならば、暴力行使のあり方も必然的に、社会が最も「起きて欲しくない」と考える形のもの――無防備で無力な対象に対する攻撃になるほかない。

では、このような事件を抑止するにはどうすればよいのか。ハッキリ言って、このような悪意を持った存在を事前に見分け、行動に介入する術は皆無に等しいだろう。ただ、暴力行使の本質を見極めて行けば、何らかの対応策を考える余地は出てくるかもしれない。

前述したとおり、暴力を行使しようとする者は、相手よりも優位を占めようとするものだ。刃物で武装した犯人が無警戒な人物に後ろから近づいたり、大人が子供を襲撃したりするのもそのためだ。逆に言うと、優位を失った襲撃者は、行動を継続しようとする意思が弱まるかもしれない。

もちろん、突発的な状況で、襲撃者から優位を奪うのは至難の業だ。そのこと自体に、人命の危機が伴う。ならば普段から、「このような計画は容易に遂行できない」という認識を、襲撃者予備軍に社会全体で与えていく必要があるのではないか。

そうした取り組みは例えば、通学中の子供たちを道行く大人が全員で見守り、何か不自然な点に気付いたら、互いに声を掛け合って警戒するという、これまでも必要性が感じられてきた草の根の努力から始まるのではないか。それさえできれば、無防備な人々の不意を突こうと狙う襲撃者は、簡単には優位を占められなくなるはずだ。(文◎久田将義)

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