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H-IIAロケット、最後の旅立ちへ - 四半世紀の想いが詰まった50号機が完成!

マイナビニュース / 2024年10月15日 13時21分

実際に打ち上げることになったGOSAT-GWは、H-IIA 202で十分打ち上げられる衛星であり、したがって50号機はSRB-A3を2本しか装着しないにもかかわらず、コア機体は204型の仕様――エンジンカバーが大型のものを使っていたり、エンジン部の外板が補強されていたり――になっている。ちなみに、同じような形態は2009年打ち上げの15号機で実績がある。

また、ロケットの段間部には、最後の打ち上げを記念した特別なデカールを貼るという。機体公開が行われた時点ではまだ貼られておらず、どんな絵柄になるかはお楽しみとのこと。

コア機体以外の部品のうち、SRB-A3は、種子島宇宙センターで燃料の充填を終えている。また、衛星を保護する衛星フェアリングは、メーカーである川崎重工の播磨工場で製造中だという。

これらは、種子島宇宙センターの大型ロケット組立棟の中でコア機体と結合され、初めてロケットとして完成し、そして打ち上げられることとなる。

また、50号機の製造にあたっては、最終号機ならではの、終わらせる難しさがあったという。

三菱重工の宇宙事業部マネージング・エキスパートを務める田村篤俊(たむら・あつとし)氏は、「これまでは、仮に組立中に部品を壊してしまっても、予備の部品を使ったり、後続号機で使う部品を持ってきたりして対処することができました。しかし、最後の50号機ではそうはいきません。バルブなど汎用品を使っているところはともかく、推進薬タンクは特注品のため代えが効きません。そのため、いつも以上に、慎重に慎重を期して作業しました」と振り返った。

H-IIAの50機という生産数は、日本の衛星打ち上げ用ロケットの中で最も多い。たとえばH-IIは1994年から1999年までに7機、その前のH-Iは1986年から1992年の間に9機の打ち上げ実績しかなく、2桁に乗ったのもH-IIAが初めてだった。

H-IIAの開発初期から携わってきた田村氏は、次のように振り返る。

「H-IIAより前のロケットは、開発して、技術を習得しただけで終わっていました。H-IIAも、最初はNASDA(宇宙開発事業団、現JAXA)さんの下のメーカーとして進めてきましたが、その後製造プライムとなり、13号機からは打ち上げサービス事業者となり、だんだん責任が大きくなり、育てられてきました。H-IIAは、技術の開発にとどまらず、ビジネスになったロケットでした」。

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