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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第1回 創業者、岩垂邦彦

マイナビニュース / 2024年10月22日 12時0分

画像提供:マイナビニュース

日本電気(以下、NEC)は、変革を続ける企業である。

それは、創業からの歴史を見れば一目だ。

NECには、3つの創業がある。ひとつめは、1899年7月の創業。日本初の外資系企業として誕生し、日本における電話の普及に大きな貢献を果たしたのがNECであった。2つめの創業は、1977年に、「C&C(コンピュータ&コミュニケーション)」を提唱し、情報通信産業の担い手へと変貌したときである。いまでは当たり前となっている情報と通信の融合を、最先端で牽引してきたのがNECであった。そして、第3の創業は2013年となる。ITバブルの崩壊やリーマンショックによる金融危機などの影響を受け、業績が低迷するなか、PC事業の売却をはじめとした事業の集中と選択を推進する一方、自らの存在価値を「社会価値創造型企業」に再定義して、DXを強力に推進しはじめた。2024年には、新たな価値創造モデルと位置づける「BluStellar」を発表。AIをはじめとした先端技術を活用し、「社会価値創造型企業」としての取り組みを新たなステージへと引き上げている。

このように、NECは、125年に渡る歴史のなかで、時代の変化とともに、経営を変え、事業を変え、文化を変えてきた。本連載を通じて、125周年を迎えたNECの歴史を紐解いてみる。

明治維新の激動の中で

NECの創業者である岩垂邦彦氏は、1857年(安政4年)8月に、現在の北九州市で生まれた。

父の喜多修蔵氏は、小笠原藩国老の要職に就き、白虎隊との戦いにも勝利を収めたが、突然の刺客に襲われ、1868年(明治元年)春、49歳の生涯を閉じた。当時14歳だった岩垂氏は、兄とともに仇討ちを決意して、九州から上京。当時はまだ、明治政府による仇討禁止令が布告される前であり、子供ながらの強い意思がこのときの行動につながった。だが、この決意が、その後の岩垂氏の人生を大きく変えることになる。

上京した岩垂氏は、明治維新による時代の大きな変化のなかで、新たな国づくりに挑む人たちの姿を目のあたりにし、「家の名誉や私的な復讐に情熱を注ぐより、新生国家に微力を尽くして家名を挙げることこそ、真の孝道ではないか」と思い至り、仇討を思い留まった。その強い意思の矛先が向いたのは勉学であった。兄弟2人は勉学に励み、岩垂氏は工部大学校で電気を専攻し、工学士となったのである。

1882年(明治15年)に卒業後、工部省に就職。普及がはじまったばかりの電話機の保守を担当することになった。このとき、工部省の製機所で生産された電話機は、役所の高官の家に試用の形で設置されていったのだが、品質が悪く、故障と苦情が絶えない状況が続いたという。保守担当だった岩垂氏は、毎日のように、電話不通の叱責を高官から受け、「電話」という言葉を聞くだけで、アレルギー症状を起こすほどになっていた。電話という言葉に拒否反応を起こしていた当時の岩垂氏が、その後、電話でNECを創業することになるとは、本人自ら、夢にも思っていなかっただろう。

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