元米兵捕虜が教えてくれた、謝罪と許しの意味
ニューズウィーク日本版 / 2018年8月15日 19時30分
航海中は連合軍からの攻撃も加わって多くが命を落としたが、生き延びて日本に到着した捕虜たちは全国約130カ所の捕虜収容所に連行され、炭鉱や鉱山、造船所や工場などで働かされた。戦争末期にかけて日本側も疲弊するなか、捕虜たちの生活は過酷を極め、終戦までに約3500人が死亡したという。死因は飢えや病、事故や虐待、連合軍による爆撃などだった。
ADBCのメンバーは、こうした悲惨な捕虜生活を生き抜いた人とその家族、または捕虜のまま亡くなった人の遺族たちだ。元捕虜の年齢が90歳を超え、組織の主体はその子供たちの世代に代替わりしているが、子世代もまた親の苦しみを受け継いでいる。元捕虜の多くが帰還後も心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされ、捕虜体験に口を閉ざす一方で、父親を理解しようと調べるうちに日本に対して憎悪を抱く子世代も多いという。
そんな戦友会で受付登録を済ませた私は、03年にこの会に参加して以来、元捕虜やその家族と面会するたび幾度となく経験してきた「居心地の悪さ」を感じた。もちろんここは、見知らぬ日本人がハグとキスで歓迎されるような場所ではない。だがそれ以上に、私には参加者を遠ざける肩書があった。私は、「元捕虜収容所長の孫」。そして祖父は戦後、「戦争犯罪人」として裁かれた人物だったからだ。
筆者をオクラホマ州の自宅に迎えた元捕虜のウォーナー(13年) COURTESY KOGURE FAMILY
波乱含みで始まった取材
参加1日目、体験談を聞くセミナーが続き、元捕虜のうち1人と翌日に個別にインタビューする約束を取り付けた。自己紹介の際には「記者」を名乗った。元収容所長の孫だと言えば、相手を怒らせるか、傷つけかねない。何より、先入観なく本音を語ってほしかった。だが結局、この取材は思わぬ方向に走りだすことになる。
元捕虜ダレル・スターク(92)のインタビュー当日、約束の時間の少し前にホテルのロビーに行くと、別の元捕虜の娘で、知り会って2年になるパム・エスリンガーが男性と談笑していた。エスリンガーは、私の祖父が元収容所長であることをこの会場で知る数少ない1人だ。そこに、スタークと娘のジュディ・ギルバートが現れた。
エスリンガーはスターク親子と知り合いらしく、2年前に私がオクラホマ州に彼女の父親を訪ねたこと、今年秋には日本に行って私の両親に会うことをうれしそうに話す。スタークの娘が私たちの関係を尋ねると、エスリンガーは少し戸惑い、間を空けた後こう言った。「彼女のおじいさんは、父がいた収容所の所長だったの」
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