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20世紀を代表する楽曲「ラプソディー・イン・ブルー」は黒人音楽の盗用なのか

ニューズウィーク日本版 / 2024年4月16日 17時30分

「ラプソディー・イン・ブルー」の楽譜を脇に、ガーシュウィンのポートレート HULTON ARCHIVE/GETTY IMAGES

<多くの人に愛されてきたジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」──初演から100周年を迎えた楽曲について考える>

1924年2月12日、ニューヨークは厳しい寒波に襲われていた。だがマンハッタンのエオリアン・ホールで開催された「現代音楽の実験」と題されたイベントには、寒さをものともしない音楽ファンが数多く集まった。

主催者で音楽家のポール・ホワイトマンは、ジャズとクラシック音楽がいかにうまく融合し得るか見せたいと思っていた。そこで彼は、ユダヤ系アメリカ人の新進作曲家、ジョージ・ガーシュウィンに新しい曲の作曲を委嘱した。

ガーシュウィンがこのイベントのために作曲した「ラプソディー・イン・ブルー」は、20世紀を代表する楽曲の1つとなった。ウディ・アレンの『マンハッタン』やディズニーの『ファンタジア2000』といった有名映画に使われ、84年のロサンゼルス五輪の開会式で演奏され、ユナイテッド航空では安全ビデオのBGMになっている。

「ラプソディー・イン・ブルー」を研究して20年近い私にとってこの曲は、ただの過去の作品ではない。時代と共にその意味を変容させてきた、進化し続ける音楽だ。

今日、この曲をコンサートのプログラムに加えるのはある意味、両刃の剣だ。発表から100年たっても人気は衰えることなく、プログラムに加えればチケット完売はほぼ保証されると言っていい。だが専門家の間では、この曲を「ハーレムの活気あふれる黒人音楽シーンを白人が剽窃してできた作品」とみる人が増えている。

ホワイトマンがガーシュウィンに作曲を委嘱したのは1923年後半のこと。だがガーシュウィンは翌年1月4日にコンサートについての新聞記事を読むまで、そのことをすっかり忘れていたという。

急いで作曲に取りかかったが、忙しい彼にはあまり時間がなかった。手稿譜からは、作曲期間は数週間、実際に作業したのは正味10日くらいだったことがうかがえる。

「ラプソディー・イン・ブルー」の手稿譜(写真)からは、ガーシュウィンがこの曲を正味10日間ほどで書き上げたことがうかがえる GABRIEL HACKETTーARCHIVE PHOTOS/GETTY IMAGES

音楽を通した黒人の反論

そこで彼は、ブロードウェイの作曲家として使い慣れたメロディーやハーモニー、リズムや音楽構造を使って曲を制作。この曲は初期のジャズ(ルイ・アームストロングら黒人ミュージシャンがニューオーリンズから持ち込んだ、即興的でシンコペーションがちりばめられたブルース的なサウンド)の影響を強く受けることになった。また彼は、ジェームズ・P・ジョンソンらニューヨークのハーレムで活躍していたジャズピアノの名手たちとも交流があり、その影響も受けていた。

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