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更年期が「終わった後」ってどうなるの?今から62歳までに起きること

OTONA SALONE / 2021年5月23日 20時0分

閉経の前後5年を一般に、更年期と呼びます。日本人の閉経の平均年齢は50歳なので、45~55歳の世代は更年期に当たる人が多いもの。身体の不調に苦しみ「更年期障害」の状態に至る人もいます。

 

私ってもう更年期なの? みんなはどうなの?

 

オトナサローネは同世代の女性100人がいまどのような更年期を迎えているのか、そのあり方を取材しています。(ご本人の年齢や各種の数値は取材時点のものです)

【100人の更年期#50】

 

ケイコさん 62歳、神奈川県在住。現在は夫と二人暮らし。32歳の長男、28歳の長女は独立し、長男には3歳の孫が。60歳で超激務の会社を定年退職、その後も契約社員としてシニア層のファッション・食にまつわるプランニングを手掛ける。大の病院・薬嫌い。

 

52歳で閉経。敢えて家族に「更年期宣言」をした

小さなころから呼吸器が弱く、咳が出てすぐ熱が上がる体質だったケイコさん。婦人科系のトラブル経験はほぼなく、更年期までは風邪をひきやすいことが悩みでした。

 

「私の最終月経は52歳で、その1年前から飛び飛びになっていました。閉経ってばしっと終わるわけではなく、終わったかな?と思っていたらちょろっと出血があって、あらまだ続いてたのね?と慌てたりの繰り返し。そのタイミングで、きっと女性ホルモンがガーッと減ったんでしょうね、身体がブリキのロボットみたいにぎくしゃくしはじめました」

 

関節は油が切れたかのようにギシギシときしみ、なめらかに動きません。これが更年期障害なのか!自分の場合はこういうふうにくるのか!と感じたそうです。

 

仕事と家族にすべての時間を使ってきたケイコさんはこれを期に、家族に「これからお母さんは体調がすぐれず、今までのように家事全般ができなくなるかもしれないので、みなが協力するように」と 「更年期宣言」をしました。

 

「でも、その後、期待したほどには症状は出ませんでした(笑)。これが今から10年前の話。どうやら私はオクテみたいで、いろんなトラブルがずっと後に出てくるんです」

親の介護、仕事の激務。そして変形性股関節症に襲われる50代前半

閉経した52歳のとき、東日本大震災が起きました。ちょうどその頃、ケイコさんの母、義父母が相次いで病に倒れ、地方在住の母を神奈川に呼び寄せることに。突如として「共働きでの親の介護問題」に直面しました。

 

「母の引っ越しでものすごいぎっくり腰になり、激痛で歩くのも一苦労。ガニ股でそろりそろりと歩いていると、友人から妊婦みたいだねって笑われたりしたのですが、整形外科で、実は変形性股関節症という股関節の病気が始まっていることが発覚。ですが、仕事が激務な上に、親のケアも必要、自分の身体のことなんてかまっていられませんでした」

 

更年期障害の典型的な症状はほぼ経験しなかったケイコさんですが、53歳のころに唯一出たのがめまいでした。

 

「母を神奈川に連れてきて一段落したあと、朝、ベッドの中でふわーっと揺れてる感じがしました。気のせいかな?と思って起き上がると、ぐわーんと部屋が回っています。仕方ないからまた寝ちゃう。そんな状態が1週間くらい続くんです。2、3回ありました。でも、私、ものすごい医者嫌いで、よっぽどのことがないと行きません。病院に行かず我慢しました」

 

突然足が震えて体重が激減。声が出ない、喉が渇く…これも更年期?

なんと57歳のとき、突如としてケイコさんの体重は一月で7kgも減ってしまいました。

 

「冬の仕事帰りの夜、デパートで買い物をしていたら、急に足が震えて力が抜けてしまいました。まあ疲れてるし、そういうこともあるか!と放置してたら、それから急激に夜眠れなくなりました。やたらとのどが渇き、食べても食べても体重がどんどん減ります。常に37℃くらいの微熱が出ていて、寝ている間も心臓がバクバクして。筋肉や関節が痛く、むくみも出て」

 

直前に受けた人間ドックでは異常なしでした。いったいこれは何だろう? 更年期症状のような部分もあるけれど、こんなにひどいものなの?

 

「声が出ないから、電話かかってくるのがものすごい恐怖でした。のどがぎゅっとしぼりつけられる感じなんです。誰とも喋らず、黙々と仕事をこなす毎日でした。足だって力をいれると震えます。当時の写真をみると私はガリガリ、でも半日つぶして精密検査する時間もとれず……」

 

そんなある日、偶然会った友人に症状を話したところ、甲状腺の病気では?と指摘されました。友人は甲状腺ホルモンが分泌されなくなる病気、橋本病の治療中で、ケイコさんは逆に分泌が多くなるバセドウ病ではないかとコメント。

 

「更年期ではなく甲状腺だなんて! 思ってもみなかったので驚きました。こんな状態でも、私は病気だという事実を認めたくなくて、何かの気のせい、一過性のものだと思いたかったんです。でも、友人の言葉で決心を決め、彼女も通っているという表参道の甲状腺疾患専門病院をすぐ受診しました」

検査してみたらビンゴ、甲状腺の病気と判明。薬は効いたが…

この病院は甲状腺疾患の患者さんが全国から集まってくるため、診療がシステマチックに行われ、検査にも診察にもムダがない点がよかったそうです。

 

「甲状腺の病気って、病院をジプシーしてあちこちの科を受診したけれど原因がわからず、最後に専門外来にたどりついてやっと判明する人も多いのだそうです。時間のない私にはこのロスのなさがとてもありがたかったです」

 

検査したところ、結果はやはり甲状腺機能亢進症、バセドウ病でした。幸運なことに、薬を飲み始めると1週間ほどで症状はきれいになくなりました。

 

「それはよかったのですが、いっぽう、この薬をずっと飲むのか……と暗い気持ちになりました」

 

ちょうどその時、仕事で医師に話を聞く機会がありました。自分の症状を話し、飲んでいる薬を挙げたところ、医師が一瞬エッという表情を浮かべたそう。

 

 

「この薬、飲み続けているとよくないんですか?と聞いたら、ちょっと間があって、いやそんなことないんですよと答えが。薬で症状はおさまっていましたが、病気自体は治っておらず、このままホルモンの数値が改善しなければ、甲状腺を焼き切るアイソトープ治療に至ることは想像できました。そんなの私には地獄。冗談じゃない、なんとか避ける方法がないかと模索が始まりました」

 

実はバセドウ病の原因はよくわかっていません。20代でも発症することでわかる通り、更年期とも直接の関係はありません。30~40代での発症が多いとされる自己免疫不全で、ストレスなどが原因の一つと考えられています。したがって、ストレスをかけず、食生活を整え、生活リズムを規則的に維持することが大事とされます。

 

「自分の身体に注意を払ってみると、会社で仕事をしている日、夕方になってだんだん疲れてくると手足の震えが出ることに気づきました。なので、あ、ストレスがたまってるなと思ったら、すかさず深呼吸して体をゆるめる。まずはそんなコツコツとした努力から始めました」

食事を変えたら人生が変わった。再び私は食事に助けられる

話はさかのぼって東日本大震災の頃、52歳のときに、ケイコさんは食事を蒸し野菜と発酵食品メインに食べ、添加物を極力取り入れないケミカルオフのライフスタイルに出会っていました。

 

「40代までは食事も睡眠もめちゃくちゃでしたが、たまたま51歳でよき師に出会い、急に食事への意識が変わりました。蒸し野菜をたっぷり食べ、良質のタンパク質や、添加物なく作られた食品だけを身体に入れるよう選んだら、半年あまりで身体が急にぐんと軽くなり、階段もタタタタって駆け上がれるようになったんです」

 

スルスルと7kgやせた上に、ひんぱんにかかっていた風邪をぱたっとひかなくなりました。

 

「その後はまた激務でちょっと意識がユルくなっていましたが、こうして大きな病気と直面した私は、当時の情熱を取り戻しました」

 

思いかえせば、52歳で家族に更年期宣言をしたのにほぼ症状が出なかったのも、このとき食事と生活を変えたおかげかもしれません。57歳で改めて始めたストイックなまでの食事管理、ストレスオフへの取り組み、そして十分な睡眠、これらが功を奏したのでしょうか。2年かけて寛解の状態へと持ち込み、投薬を停止することができました。

 

「薬を飲まなくなってしばらくは再発しないかびくびくする時期が続きましたが、昨年61歳の人間ドッグでも甲状腺機能の異常はなく、ホッとしました。引き続き慎重にストレスをオフする毎日です。たまたま私の場合はうまくいったに過ぎず、全員がこうなるわけではありませんが、どんな病気と戦う場合も、ストレスオフ、食事、そして睡眠はとっても大切だと思うんです。私はしなかったけれど、適度な運動も」

 

更年期って原因不明が多すぎる。これ老化なの?病気なの?

振り返ると、更年期の不調は原因がわかりにくいことに困ったと言うケイコさん。

 

「その不調がホルモン減に由来するのか、それとも病気なのか、判断が難しいですよね。この時期が過ぎれば自然と収まるめまいのような症状もあるいっぽう、私のように実は甲状腺の病気ということもあります。頭痛に苦しむ友人もいましたが、きちんと病気でないことを診断しないと重大な病気が潜んでいることがあるそうですね。いろいろなパターンを読んで、聞いて、周囲と情報交換しておくのが大切!」

 

メンタルの安定も切り離せません。かつて仕事で話を聞いた女性は、50代で親しい友人を亡くし、同世代がこうして世を去る年齢になったことにショックを受け、お葬式の帰り道から抑うつ状態になったそう。そんなきっかけで体調が崩れることもあるのだなと、自分をいたわる気持ちになりました。

 

「ホルモン補充療法の話も聞きました。そういう方法もあると知っておくだけで、いざというときの悩みが軽くなります。客観的にこういうことが起きても不思議がないお年頃なんだってわかっていれば、これ更年期のせいなのねって思うことができますよね。不安を抱え続けるのではなく、原因を漠然とでも掴んでおくのが大事なのではと思います」

 

 

周囲を見ていると、がんばりすぎる人ほど辛い思いをする傾向を感じると言います。がんばっている人ほど、自分は努力が足りない、もっとできると思ってしまいがちでは?

 

「私もその傾向があるのですが(笑)。年をとったって認めたくないけれど、身体は確実に老いています。だから、ちょっとだらしないよねと思うことも自分に許して、少しのんびりしてもいいと思うの。旅行でも、家事をサボるでも何でも、自分をゆるめる術をたくさん持っていたほうがいい。半日くらいテレビを見続けるとか、今までならそんなことしてる場合じゃないと思ったことを自分に許してあげてほしいんです」

還暦を迎えてわかった。人生の2周目って本当に深くて、まだまだ楽しい

3年前には初孫を迎えたケイコさん。還暦を過ぎ、世代の交替を通じて、さまざまなことにより深く思いを馳せるようになったといいます。

 

「人って、進歩発展成長していく自分像を描きたいでしょ。それが希望になる。希望がないと人間は生きていけないけれど、残念ながら歳を取ると希望って少なくなります。白髪を見つけて、「あぁ自分も年だなぁ~」ってため息が出ちゃうのは、年を取ることイコール夢も希望もなくなる、人生終わるってみんな思っているから。だから、楽しいこと、心踊るキラキラしたことは自分で作ったり、探していかないと毎日を前向きに生きていけないの」

 

いっぽう、最近読んだ本で、人間の脳は56歳から出力がマックスになると知ったそうです。今まで色んな経験を積んできたからこそ、直感で見えることが増えたと同感します。

 

「昔読んだ本を改めて読んでみると、当時より一段深いことに気づけたりします。若い頃のようにキラキラはしていなくても、その分だけ奥行きのある、魂がふるえるような感動を得る機会がぐんと増えました」

 

更年期が終わるころには、男女を問わず心が本当に通じる交友関係が持てるようになっていくのも魅力だそう。たとえば、高校時代に片思いしていた人といま会ったら、すごくいい友達になれるかもしれないと考えることもあります。

 

「還暦を過ぎ、人生が二周目に入ると、旅や人、本、映画など、それまでの私を作ってきてくれたものとの再びの出会いをより奥深く楽しめます。一周目では気づけなかったけれど、実はこんなにすばらしい側面があったのね!と感動することがたくさんあるの。私には孫が生まれ、今年62歳にして10年前に発覚し、ここ1年で急激に痛みがひどくなった股関節の手術に挑みました。踏み切った理由は3つ。孫と遊びたい、まだまだ仕事がしたい、そしてコロナが収まったら旅行にいきたい。そんな希望の種を蒔いたんです。これからも、そんな希望を自分の中でいくつも育てていきたいなって思っています」

 

≪OTONA SALONE編集部 井一美穂さんの他の記事をチェック!≫

 

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