1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

大和ハウス役員が"終の棲家"で叶えた願望

プレジデントオンライン / 2019年2月1日 9時15分

大和ハウス工業 執行役員人事部長 能村盛隆氏

大手不動産会社の役員は、これまでどんなところに住んできて、将来どうするつもりなのか。業界のトップランナー3人に聞いた。第2回は大和ハウス工業の能村盛隆・執行役員人事部長――。(全3回)

※本稿は、「プレジデント」(2018年12月3日号)の掲載記事を再編集したものです。

53歳で購入を決意した終の棲家
DATA●兵庫県神戸市●2階建て

■お酒の席で、住み替えを決めた2年前の夏

神戸に家を建てたのは、2016年の夏にわが社の神戸支社長とお酒を飲んだのがきっかけでした。

ふとした話の流れで、「自分もいつかは家を建てたいですね」と呟いたところ、さっそく翌日、支社長自ら土地と建物のプランを持ってきてくれたのです。お酒の勢いの一言でしたが、あの夜がなければ、53歳でこの家を建てることはなかったと思います。

私のこれまでの家の遍歴をお話ししますと、山口県にある一軒家の実家で育ち、就職してすぐは、会社の寮で3年間を過ごしました。結婚してからは西宮にある2DKの賃貸マンションに住み、子どもができて、神戸にできた七十数平米の3LDKの分譲中古マンションを買いました。ところが、その翌年に阪神・淡路大震災が起き、購入時の半額ほどに値崩れしたため、売るに売れず、結局16年までの22年間も、そこに家族4人で住み続けました。

最近、息子が独立して、娘も19年に大学を卒業するところだったので、「終の棲家」を手に入れるには、ちょうどよいタイミングだったのです。

■妻の意見で狭い家でも広々とした空間に

この家を建てたエリアは比較的土地代が高く、基礎工事を見学したときは「こんなに狭いのか」と少々ガックリきました。しかし、1階の和室のふすまを開けると、リビングダイニングが広々と一望できる構造にするなど、狭くても広々とした空間を感じられる工夫をしていました。そのおかげで、実際に完成した家は、天井も高く狭さを感じない空間になりました。これは、妻の希望を反映した設計です。

写真=iStock.com/Bulgac

また、外観もこだわりました。というのも、周辺の家の壁が白ばかりであったことと、私が膨張色よりも引き締まった色が好きなものですから、外壁は黒に近いグレーにしました。家の前に駐めている自家用車のミニクーパー、趣味で乗っている大排気量のトライアンフ製バイクとも調和する色で、とても気に入っています。明るい外壁に比べて、ダークな外壁のほうが、10~20年が過ぎたときに古びた感じがしないだろうと考えた結果でもありました。

■上棟式では鉄骨に書いた「凡事徹底」

ほかにも、玄関に工夫をこらしました。ふつうわが家ほどの建坪の場合、敷地を最大限に活かすために、目いっぱい土地を利用した設計で家の前面に玄関をつくりますが、あえて玄関を横向きにして奥に配置し、家の脇に8メートルほどの通路を設けました。玄関を前面に置くと、道路に面しているので、出入りのたびにプライベートな空間が外から覗かれてしまいます。横向きの玄関は、設計担当者からの提案でしたが、防犯対策にもなりますし、会社の行き帰りに通路を通るとき、仕事とプライベートのオン・オフの切り替えができて、よかったと感じています。

私も妻も、それぞれ田舎に実家がありますが、将来的にはこの家で先祖代々を祀ることになるだろうと考えて、家には最初から仏間のスペースもつくりました。今は物置きとして使っていますが、仏壇専用のスペースが最初から用意されていることで、田舎の父も安心してくれたようです。

このような想いを込めたわが家の上棟式のときには、思い出があり、鉄骨に「凡事徹底」と筆で書きました。この言葉はわが社の会長の口癖で「当たり前のことを当たり前に、徹底的にやること。それが非凡につながる」という意味で、昔から私も好きな言葉です。

■生まれて初めて、書斎で過ごす至福の時間

家づくりで一番こだわったのが、私専用の「書斎」をつくったことです。わずか4畳の部屋ですが、生まれて初めて持った自分の「隠れ家」で過ごす時間が、今の生活で一番の楽しみになっています。

書斎には、備え付けで机と壁一面の本棚を設け、ちょっと値の張るソファを購入しました。私は昔から絵画や彫刻などの美術品を眺めるのが好きで、国内外の出張のたびに、気に入った作品を買い求めてきました。書斎には数百冊の書物とともに、それらの美術品を飾っています。妻からするとガラクタ同然かもしれませんが、私にとってはどれも宝物。「絶対にここにあるものは触るな」と厳命しているので、妻も娘も書斎には滅多に立ち入りません(笑)。

書斎といえば、よくあるパターンは、子どもが巣立った後の子ども部屋を転用するというものですが、最初から書斎としてつくるのは、やはり気合の入り方が違います。

自宅の完成後、建築実例の1つとして、お客さまが見学に来られることが何度かありましたが、男性は全員、私の書斎を見て「このような書斎を自分もつくりたい」という感想を持たれたようです。

わが家では「飲んで帰ってきて風呂に入らなかったら、主寝室のベッドで寝てはいけない」というのがルールになっていまして、酔っ払って帰った夜は、書斎のソファで寝ることもあります。また、休日の夜に、書斎にあるテレビで好きなDVDを見ながら、ウイスキーの水割りを飲むのは、まさに至福の時間ですね。

■ワガママを叶えたマイホームで毎日が変わった

これまでずっとマンション暮らしでしたが、「一国一城の主になった」という感覚は、注文住宅に住むようになって、さらに強く味わうことができました。私も書斎づくりにはこだわりましたが、「こんな家をつくりたい」という施主のワガママが、最大限通るのが、何より注文住宅のよさだと思います。

家をつくるかどうか迷っている方がいらっしゃったら、「生きていることが楽しくなりますよ」とお伝えしたいですね。私も自分の家ができてから、毎日会社から家に帰るのが楽しみになりました。そう言いながら、仕事が終わってもまっすぐ帰宅せず、飲んで帰る日も多いのですけれど(笑)。

----------

能村盛隆(のうむら・もりたか)
大和ハウス工業 執行役員人事部長
1963年、山口県生まれ。86年に大和ハウス工業入社。東京支社人事部長等を経て、2014年10月より執行役員人事部長。
 

----------

(大和ハウス工業 執行役員人事部長 能村 盛隆 構成=大越 裕 撮影=高見尊裕 写真=iStock.com)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください