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"アルツハイマー病で感情が消える"は誤解

プレジデントオンライン / 2019年3月17日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz)

人は認知症になったら、記憶力や注意力など、さまざまな能力を失う。しかしそれは、「その人」ではなくなることを意味するのだろうか。脳科学者の恩蔵絢子氏は、認知症の母と向き合った2年半の経験を『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)にまとめた。恩蔵氏は「認知症になっても、その人らしい『感情』は消えない」という――。

■認知症になると、「その人」ではなくなるのか?

記憶を失うと、その人は「その人」でなくなるのでしょうか?

アルツハイマー型認知症になると、海馬の萎縮の影響で、今まで得意だったことができなくなってしまいます。例えば大工さんだったら大工仕事をできなくなる、あるいは、コックさんだったら料理ができなくなります。それは確かに、「その人らしさ」が大きく減ったと感じられても、仕方がないことではあります。

しかし、そのような「能力」や「記憶」だけで、「その人らしさ」はできているのでしょうか? 能力や記憶を失ってもなお残る何かがあるのではないか? アルツハイマー型認知症になっても最後まで残るものとは何か? 私は、母親を2年半観察し脳科学の立場から分析していきました。

■その人らしさとは何か?

私にとって、母親の「その人らしさ」とはなんでしょうか?

母親はとても活動的な人でした。

そして、母親は他人が困っていると「やってあげようか」と体をすぐに動かす人でした。

自分のことより他人が優先で、例えば、自分がおいしいものを食べたら、私にも食べさせたいと必ず残しておいてくれる人でした。

しかし、母親は、アルツハイマー型認知症と診断された前後、その最初期には、得意だった料理もしないで、一日中ソファに座っているという、無気力状態になっていました。何に対してもやる気を見せなくなっていたのです。

また、驚くべきことに、私が母親を喜ばせようと思って冷蔵庫に入れておいた食べ物(甘く煮た黒豆でした。母親が昔から好きな食べ物です)が、捨てられるという出来事も起こりました。一見、「無神経」「人の気持ちに無関心」ということも起こるようになっていたのです。

最初は理解に苦しみました。しかし徐々に、海馬の萎縮の問題で、料理については、母親は料理技術を失ったのではなく、今何をしているのか「目的を覚えておく」ことができないために、作業が遂行できないのだとわかりました。ですので、一緒に台所に立つなど、こちらの振る舞いを変えてみると、母親は無気力状態から脱出していきました。

診断から3年がたった現在では、母親は、自分で何か具体的な目的を持つことは難しいですが、こちらが散歩に行こうと言えば、即座に「行きましょう」と言い、一緒に料理をやろうと言えば、「やってあげるよ」と活動的に動きます。もともとの母らしいやる気が戻っています。

■なぜ人の気持ちに無関心になるのか

一方、「人の気持ちに無関心」というのは、どうして起こったのでしょうか?

実は、最初に病院に行ったときに、海馬が大きく萎縮していることに加えて、後頭頂皮質の活動が悪くなっていると言われました。

後頭頂皮質とは、注意をつかさどるネットワークの一部です。この部位の活動が落ちると、注意を向けるべきものに、注意が向けられなくなってしまうということが起こります。例えば、交差点では、健康な人は自然に信号に注意が向くでしょう。しかし、この部位の働きが落ちている人々は、信号に気が付かないことがあるのです。

「娘が買って来たものだから」捨てない、というように、健康な人であれば「」の中に注意が向くかもしれません。しかしそれは、現在の記憶を保持しにくく、注意の問題を抱えるアルツハイマー型認知症の人には難しいことがあります。娘が買ったことに注意が行かず、ただ自分が買った記憶のないものが冷蔵庫に入っていたから捨てたのかもしれませんし、あるいはその黒さが、豆だとピンと来ず、ただ気持ちが悪かったのかもしれません。

このように、アルツハイマー型認知症の人は、こちらがしてほしくないと思うことを、意図せずしてしまうことがあります。

■アルツハイマー型の人の感受性に関する、ある実験

しかし、興味深い実験結果があります。少なくとも初期のアルツハイマー型認知症の人の社会的感受性は健康な人と変わらない、と示されているのです。

あなたがパートナーと、自分たちの間にある問題について会話をするとします。アメリカの脳科学者ロバート・W・レベンソンらは、そのときに、二人がどんな目線のやりとりをするかを記録しました。目線のやり方で、あなたがどのように気まずさを感じているか、相手に対して適切に関心を持っているか、などがわかります。この目線のやりとり、すなわち、相手に対して注目する仕方や時間が、アルツハイマー型認知症の人と、健康な人ではほとんど変わりがなかったのです。

つまり、アルツハイマー型認知症の人は、注意すべきものに注意を向けることができずに、無神経に見える行動をとることはあるものの、他者に対する関心を失ってしまったわけではないのです。

事実、私は母親が娘に対する関心を失ってしまったわけではないと感じています。例えば、私が仕事へ出掛けるということに、気が付くことができたときには、母親は、玄関まで見送りに出てきてくれますし、時には外にまで出て、私が見えなくなるまで手を振っていることがあります。もちろん、そもそも出掛けていくことに気が付かないことも多いのですが。

■「注意の問題」ならば、感情は残るのでは?

関心を失ったのではなく、注意の問題だったとわかりました。細かい差異に見えるかもしれませんが、私の家族は、この違いを認識することによって、安心して暮らせるようになりました。すなわち、母親の根本が変わっていないということに自信が持てたのです。

盲視という面白い現象があります。上記の後頭頂皮質がひどく傷ついてしまった人の中に、「半側空間無視」といって、世界の半分を無視してしまう人がいることがわかっています。このような人たちは、例えば、左側が火事になっている家の絵を見せても、左半分に注意が向かないので、気が付きません。しかし、面白いことに、火事になっていない絵と、左側が家事になっている絵と、どちらの家に住みたいか聞くと、「まったく同じ家なのに」と言いながら、17回中14回も火事の出ていない上の家を選ぶのです(図参照)。これを、注意が向いていないのに見えている現象、すなわち「盲視」と呼びます。

©Hiroko Nozaki

注意が正しく向かないからと言って、何もわかっていないわけではありません。火事のような危険は、大脳皮質よりも進化的起源が古い感情のシステムで察知して、避けることができるのです。

アルツハイマー病で大脳皮質(理性や注意をつかさどる)の萎縮は進んでも、それよりも内側にある進化的に古い脳部位(感情や本能をつかさどる)は影響を受けにくいと言われています。

しかし、他の動物でも持っているような感情や本能が残っても仕方がないではないか、と思う人がいるかもしれません。

そのような人にこそ、私は、感情こそが、われわれが生きる力になるという研究をご紹介したいのです。長年感情は、理性に劣る能力だというのが常識で、日常的にも「感情的になるな」と言われたものでした。

■意思決定は、理性ではなく感情がつかさどる

最近の脳科学では、感情こそが、われわれの理性、道徳心の源であると言われています。事故や病気で、感情に関わる脳部位が傷ついてしまった患者さんは、危険をうまく避けたり、他者を思いやったりすることができなくなります。すなわちわれわれの日常生活の大事な意思決定は、われわれの理性がつかさどっているわけではなく、感情が大きな役割をもっていたのです。

アルツハイマー病では感情は残っています。

『脳科学者の母が、認知症になる』(恩蔵絢子著・河出書房新社刊)

物事を正しく記憶する力、粘り強く作業を完了させる力、正しく注意を向ける力、このような、われわれが小さな頃から養ってきた能力は、確かにこの病気で損なわれてしまいます。それが「その人らしさ」を奪うことは事実です。

ですが、例えば、「誰かのために役に立ちたい」というような、その人がもともともっていた感情は残っています。そして、たまたま注意が、向けられるべきものに向けられたときには、母親は今までと変わらない感情的反応をします。そのようなとき、私は確かに、「母はここに居る」と感じることができます。

「その人らしさ」には認知機能の作るものと感情の作るものがあるのです。そして、感情の作る「その人らしさ」は、最後まで残るものなのです。

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恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)
脳科学者。1979年神奈川県生まれ。専門は自意識と感情。2002年、上智大学理工学部物理学科卒業。07年、東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学で、非常勤講師を務める。

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(脳科学者 恩蔵 絢子 写真=iStock.com)

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