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医師の判断で透析患者を殺してもいいのか

プレジデントオンライン / 2019年3月16日 11時15分

東京都による立ち入り検査が行われた公立福生病院。問題発覚以後、病院は詳しい説明をしていない。(写真=時事通信フォト)

■「透析中止」の女性は精神的に不安定な面があった

これは医療行為というよりも、むしろ殺人ではないか。

東京都福生市の「公立福生病院」で昨年8月、腎臓病を患っていた44歳の女性患者の人工透析治療が中止され、この女性が1週間後に死亡した。病院側は「医師が女性の話を聞いたうえで中止を決めた」と説明しているというが、東京都は病院を医療法に基づいて立ち入り検査するなど本格的な調査に乗り出した。日本透析医学会も調査委員会を立ち上げ、事実関係の調査を始めた。

これまでの報道を総合すると、女性は病院で「末期の腎不全」と診断され、医師や家族と何度か回話し合って透析治療を受けないことを決め、同意書にも署名していた。しかし女性は透析を中止して容体が悪化した直後、中止の考えを改め、病院に透析の再開を求めていた。しかも女性は精神的に不安定な面があったという。

日本透析医学会のガイドライン(指針)によれば、透析治療を中止できるのは、回復の見込みのない終末期の患者が事前に中止の意思を示したうえで、その患者の状態が極めて悪化した場合としている。患者の体の状態が改善したり、患者や家族が透析治療の再開を希望したりしたときには再開するよう求めている。

■1回3~4時間を週3~4回行うという大きな負担

公立福生病院の行為は明らかに学会のガイドラインに違反しているが、複数の報道によれば、病院は院内の倫理委員会にこの女性患者の透析中止の問題をかけていなかったという。杜撰である。少数の医師らの独断で決めることではない。

人工透析治療とは、腎臓の機能を失った患者を人工腎臓(透析装置)にかけて患者の血液から尿素やクレアチニンなどの老廃物を取り除く療法である。患者の体に老廃物が溜まると、患者は痙攣や意識障害を引き起こして死んでしまう。本来、人体に2つある腎臓が血液を濾過して老廃物を取り除くとともに尿を作るのだが、この腎臓の代わりに人工腎臓を使う。

通常、1回の人工透析には3~4時間かかり、これを週3~4回行う必要がある。肉体的にも精神的にも負担は大きい。だが、この治療を止めれば死んでしまう。透析患者は右肩上がりで増えており、現在全国で約33万人にも上る。その多くが糖尿病を悪化させて慢性の腎不全になった糖尿病性腎症の患者である。

■医師の価値観に沿った判断へ誘導する恐れ

一連の報道によれば、この病院の腎臓病総合医療センターを受診した患者は2018年3月までの5年間に約150人おり、そのうち約20人が人工透析を行わない「非導入」を選択していたという。さらに人工透析を中止する「離脱」の患者も数人いたようだ。

公立福生病院の透析中止問題は、毎日新聞のスクープだった。初報は3月7日で、3月9日には社説のテーマにもしている。

その社説は「苦しい闘病を続ける患者には治療をやめたくなるときがある。それを医師や家族はどう受け止めるのか。難問が突きつけられている」と書き出している。見出しは「患者の意思は尊ばれたか」である。

「医師側は複数の選択肢を示し、治療をやめると死につながることも説明したと主張する。女性は治療中止の意思確認書に署名している。表面的にはインフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意)を得ているように見える」
「ただ、精神的に追い詰められる患者の気持ちが二転三転することは珍しくない。正常な判断ができない状態の患者に医師の言葉が影響を及ぼし、結果として患者の本意より医師の価値観に沿った判断へ誘導してしまうことは十分にある」

■終末期だが腎臓移植という道も残されている

公立福生病院の行為は、毎日社説が指摘するように「表面的なインフォームドコンセント」でしかなく、しかも一方的に「医師の価値観に沿った判断」へと誘導している。これはもはや患者中心の医療などではなく、医師や病院の押し付け以外の何ものでもない。

さらに毎日社説はこう指摘する。

「厚生労働省が昨年改定した終末期医療のガイドラインは患者と家族、医師らが継続的に何度も治療方針を話し合うことを求めた。医師だけでなく、介護職員も患者の意思を確認するチームに加えることを定めた」

いかなる治療を行おうと、死が避けられないというのであれば、透析治療を中止して亡くなった女性患者は終末期にあったことになる。しかし治療方法は残されていた。人工透析の再開である。再開していれば、命を落とすことはなかったはずだ。

しかも透析患者には腎臓移植という道も残されている。そのことを病院側はきちんと説明していたのだろうか。

■医学界の考え方と大きくかけ離れている

公立福生病院は終末期医療を誤解しているようだが、いまの社会では終末期医療の在り方が大きく問われている。

日本社会は世界でもまれな高齢化に直面し、「人生100年時代」とまでいわれる。長寿社会では老いや病気の問題、命の在り方など深い考察が求められる。延命治療を受けるのか、それとも拒否するのか。だれもが最後にたどり着く終末期と死について正しく認識し、終末期の過ごし方を決めておくことが求められる。

死が迫る終末期において、延命治療を中止し、自然な死を迎える方法もある。「尊厳死」と呼ばれる死である。

尊厳死は医学界で常識である。日本老齢医学会は2012年に「胃ろう」を止めるための指針をまとめ、日本救急医学会も2007年に一定の条件下でのレスピレーター(人工呼吸器)などの生命維持装置の取り外しを提言している。

今回の公立福生病院の事件は、こうした医学界の考え方と大きくかけ離れている。病院が終末期医療や尊厳死の在り方を自分勝手に、都合よく判断した結果、透析患者の命を奪ってしまったのではないだろうか。沙鴎一歩はそう考える。

■1995年の安楽死事件では医師の殺人罪が確定

尊厳死と混同されがちなものとして、「安楽死」という言葉がある。

1995年3月、横浜地裁が東海大安楽死事件の判決で安楽死の3つのタイプ(積極的安楽死、間接的安楽死、消極的安楽死)を示している。東海大安楽死事件とは、東海大付属病院で末期がんの患者に医師が塩化カリウムを注射して死亡させた事件で、安楽死の問題が初めて司法の場で大きく問われた。判決後、医師の殺人罪(執行猶予付き)が確定している。

判決によると、積極的安楽死は苦痛から患者を解放するために意図的かつ積極的に死を招く医療的措置を行うことだ。これに対し、消極的安楽死は患者の苦しみを長引かせないために延命治療を中止して死期を早めることで、間接的安楽死は苦痛の除去を目的とする適正な治療行為ではあるが、結果的に生命の短縮が生じるとしている。

現在、積極的安楽死を安楽死とみなし、消極的安楽死と間接的安楽死を尊厳死とするのが一般的である。

■安楽死大国のオランダを支える「家庭医制度」

安楽死と言えば、オランダだ。オランダでは2001年に世界で初めて安楽死法が成立し、翌年から施行されている。オランダでは医師に薬物を注射してもらうなどして命を断つことが合法的にできる。さらにオランダでは患者の苦痛を取り除くような消極的安楽死(尊厳死)は、通常の医療行為になっている。

専門家によると、安楽死が合法的になった背景にはオランダ独自の家庭医制度が強く影響している。

国民全員が普段の健康状態を診る家庭医を持っている。家庭医は自分の患者がどう自分らしく生きるのか、どうやって死に臨もうとしているのかまでを詳細に把握している。オランダではこの家庭医が了承しない限り、安楽死はできない。安楽死法が施行されたオランダでも、安楽死はまれで、死亡総数に占める割合はわずか数%にすぎないのである。

患者と医師、病医院の濃密な関係があって初めて安楽死が成り立つ。「透析を再開したい」という女性患者の気持ちをくみ上げることができなかった公立福生病院の行為は、「殺人」に相当するのではないだろうか。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=時事通信フォト)

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