なぜ日本の企業は「退職者に冷たい」のか
プレジデントオンライン / 2019年3月27日 9時15分
※本稿は、山口周『仕事選びのアートとサイエンス』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■日本は世界で最もリスク回避傾向が強い
2005年から2008年にかけて世界各国で実施された世界価値観調査によると、日本は世界で最もリスク回避傾向が強い(※)という結果が出ています。転職についてネガティブな先入観を持っている人は、このデータを見て「ほら見ろ、だから転職は日本の民族性や文化には合わないのだ。やはり一度入った会社で勤め上げるのが日本人には合っている」と言い放ちそうですが、私はちょっと違う考え方をします。
※正確には「自分は冒険やリスクを求めるタイプである」という質問に対して「まったく当てはまらない」「やや当てはまらない」と回答した人の割合が調査実施国の中で最も高かった。
違う考え方とはすなわち、日本ではむしろリスクをとったほうが有利だ、という考え方です。なぜか?
理由は単純で、リスクをとる人が少ないからです。リスクをとる人が少ないということは、「チャンスがそこにある」というときに、リスクをとってそれを獲得しようとする人が少ない、ということを意味します。これを競争戦略の枠組みで言えば、心理的な参入障壁が高いために競合が少ない、ということになります。
■目の前に「大きなぶどうの房」があっても遠慮する日本人
いま、目の前に大きなぶどうの房がぶらさがっているというとき、リスク性向の強い国、例えば米国や韓国のような社会では、大勢の人が「よし、木に登ってぶどうを取ってやろう」と考えます。当然、樹上での争いは熾烈になるでしょう。落っこちて怪我をするかもしれません。
一方、日本では、目の前に大きなぶどうの房がぶらさがっているというとき、「落ちて怪我をするかも」といった懸念や、「あの人が動かないのに先に動けないな」といった遠慮が邪魔をして誰も動けません。皆、互いに目を合わせてモジモジしているだけです。
ここでもし、リスクをとってぶどうを取ってやろうという人──典型的には楽天の三木谷浩史さんやソフトバンクの孫正義さんのような人たち──が出てきた場合、米国や韓国と比較して、相対的に容易に果実を手にすることができる可能性があります。
日本はリスク回避傾向が強い、と聞くと反射的に「では転職は日本人には向いていないな」と思われるかもしれませんが、個人個人での最適解を考えれば、むしろリスク回避性向が強い日本だからこそ、積極的にリスクをとりにいく期待効用は大きい、と考えることもできます。
マキャヴェッリ『フィレンツェ史』
■「赤信号を渡らないことにショックを受けた」
リスクをとらずにぶどうの房がもがれるのをただ眺めていた人たちは、後になって「あのぶどうはきっと酸っぱいに違いない」と話し合って自分を慰めたりします。
こういった人たちが囚われる羨望と嫉妬と劣等感が複雑に入り混じった感情を、デンマークの思想家セーレン・キルケゴールはルサンチマンと名付けました。
ニーチェは著書の中で、ルサンチマンを持つ人々は非常に受身で自ら変化を主導しない(できない)ため、「他人と同じである」ことに最大の価値を見いだす、つまり他人と同じであることを「道徳的」と見なすようになると述べています。
これは大変耳の痛い話で、日本で起こっている状況を実に的確に表していると思います。
かつてサッカー日本代表の監督を務めたフィリップ・トルシエは、初めて来日した際、「誰も赤信号を渡らないことにショックを受けた」と述懐しています。なぜ、赤信号を渡らないことにそれほどまでに驚いたのでしょうか?
■日本企業は「退職者に対して冷淡」な理由
彼にとって「赤信号をただ待っている」のは、「自分で状況判断して行動できない証拠」だというのです。こういう文化の中で育った選手はフィールド上でも主体的な判断ができない、まず、自分で状況を判断しリスクをとって主体的に動くというメンタリティを選手に植え付ける必要がある、というのが彼の最初の日本人観だったそうです。
私を含めて日本人の多くは、「たとえ車が来なくても、赤信号は待つものだ」と思っているわけで、このトルシエのコメントには大変戸惑うわけですが、裏を返せば、それだけ「抜け駆け」に対する社会的な圧力や規範に、我々が強く縛られているということでしょう。「出る杭は打たれる」ということです。
これはまた、日本企業が全般的に退職者に対して冷淡な理由とも符合します。なぜ冷淡なのか? 退職者が、退職後により幸福になったり裕福になったりすると、組織がルサンチマンに侵されるからです。
ニーチェは、その著作を通じて激烈にルサンチマンを攻撃しましたが、それはルサンチマンが人間を向上させるのではなく、むしろ貶めることによって安心感を得させようという心理的圧力として働くからです。その典型例として、日本における格差社会の議論が挙げられます。
■「富裕層がもらいすぎている」は本当か
格差問題について声高に訴える人は「富裕層がもらいすぎている」点を問題視します。しかし、本来「格差」というのは相対性の問題ですから、貧困層を底上げするという解決策もあるはずで、実際に慶應義塾大学名誉教授の竹中平蔵先生は「現在の問題は格差問題ではなく貧困問題」と指摘しています。
確かに、所得分配の不平等度合いを示すジニ係数を見てみると、わが国の数値はOECD内では加盟国の平均に近く、また、トレンドとしてもわずかに上昇の気配はあるものの、90年代とほぼ同程度で推移していますので、「格差の拡大」が問題とは考えにくい。つまり起こっているのは格差という相対性の問題なのではなく「貧困層の拡大」という絶対的な問題だということです。
しかし、格差を攻撃する人の発想は何故かそこに行き着かない。ひたすら問題になるのは「富裕層がもらいすぎている」という点なのです。これは要するに「高みにある人々を貶めることで平等性を確保せよ」と言っているわけで、ルサンチマンに囚われた人の典型的な思考パラダイムだと言えます。
■「ルサンチマン」に囚われやすい国民性
ニーチェは著書『ツァラトゥストラ』の中で、他人と同じであることに最大の価値を認める人々を「畜群」と名付け、超人の対概念としました。超人思想は、ニーチェの本来の思想的文脈を離れてナチや北欧諸国の優生政策に利用されたりしたため、極めてデリケートな扱いを要する概念ですが、畜群すなわち「ひたすら皆と同じことを道徳的であるとして求める人々」ばかりになってしまった社会では、進歩・発展が望むべくもないということは想像に難くありません。
かつてジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた“日本株式会社”システムの制度疲労が明らかとなった90年代初頭から、すでに四半世紀を経ているにもかかわらず、この国の新しい絵姿はなかなか見えてきません。陳腐で私自身も辟易する比較論ですが、やはりなぜ米国にできて、わが国にできないのか? ということは考え続けなければならない問題でしょう。
そして、その大きな理由の1つに、ルサンチマンに囚われやすい国民性があると思っています。「皆と同じ」であることが道徳的とされ、集団から飛び出して甘いぶどうを取った人々をナンダカンダと難癖をつけてイジメることで、強引に「酸っぱいぶどう」に仕立ててしまう傾向が強い社会では、世界をリードするような新しいライフスタイルや技術イノベーションが生まれるはずもありません。
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コンサルタント
1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て、コーン・フェリーに参画。現在、同社のシニア・パートナー。専門はイノベーション、組織開発、人材/リーダーシップ育成。著書に『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』『劣化するオッサン社会の処方箋』(以上、光文社新書)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)など。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。
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(コンサルタント 山口 周 写真=iStock.com)
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