暴走事故で高齢者だけを悪者にする違和感

プレジデントオンライン / 2019年7月11日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Highwaystarz-Photography)

高齢者による自動車事故が報道されるたびに、運転の危険性や車の安全性に注目が集まりがちだ。モータージャーナリストの池田直渡氏は「高齢者の暴走事故に簡単な解決方法なんてない。この問題を考えるなら、誤操作の制御だけでなく、代わりとなる移動手段を含めた複雑な議論を惜しまないことだ」と指摘する――。

■車の死傷事故は目に見えて減っている

池袋でのプリウスの暴走事故以来、「踏み間違い事故」、あるいは「プリウスの安全性」について書いてくれという依頼は多い。多分、「プリウスがいかに危ないか」とか「高齢者の運転の危険について」とか、「この方法で事故は防止できる」みたいな快刀乱麻のスカッとする原稿が求められているのだと思う。

しかし残念ながら、そういう嘘は書けない。原因がたったひとつで、それさえ解決すれば全てがうまくいく方法なんて、何であれそう簡単にはない。

そもそも統計的に見れば、平成16年(2004年)以降すべてのデータにおいて死傷事故は明らかに減少している。まず事故は増えていない。統計の図表1からこれは明らかだ。事故全体は減少していることをまず頭に入れてほしい。なおグラフの出典は図表3を除き内閣府の「平成29年交通安全白書」である。

図表2からは75歳以上に限って他の世代と比べて死亡事故比率が高いことが分かる。74歳までの平均に対して、確かに約2倍というデータになっている。だから年齢層別に見た場合、高齢者の事故が多いことは事実であるが、先に述べた様に全体の事故件数は減っており、図表3からは75歳以上80歳以上とも、免許人口10万人当たりの死亡事故は年々減っていることが分かる。なお、このデータのみ警察庁の「平成29年中における高齢運転者による死亡事故に係る分析について」から抜粋している。

図表4で、その全体像が分かる。加害者として事故原因になった場合を見てみると、多少のでこぼこはあるものの全体としてはほぼ横ばいで、少なくとも大きく増えてはいない。赤い折れ線グラフで表される他年齢に対しての比率のみに着目すれば確かに微増傾向にあるが、その増加率すら10年前からほとんど一定、少なくとも、この数年でいきなり高齢者の事故が増えたという事実はないし、比率が急に高まっているわけでもない。

「悲惨な事故の多さに……」という話は、メディアの取り上げ頻度による印象であり、統計上は少なくともそういう話になっていない。ただし、「減っているから良いではないか?」ということにはならない。死傷者ゼロを目指すべきなのは事実である。だからもっと事故を減らしましょうという話には同意できるのだが、悲惨な事故が急増しているので緊急対策をという話には同意できない。それが思い込みにすぎないことは統計が裏打ちしている。

■免許を取り上げればそれでいいのか

さてこの問題、多分一度整理が必要だ。「高齢者による暴走運転事故」はおそらくいくつかの要素に分けられる。

まずは一つ目、高齢者の運転能力の問題から。高齢になると運動能力や判断力が落ちるのは事実だ。何の対策もしなくて良いとは思わないが、かといって問答無用で運転免許を取り上げるのが正解とも思えない。都市部に限れば、代替交通手段があるので、その人の環境によっては何とかなるだろうが、地方へ行くとどうにもならない。

広島県三次市作木地区でNPO法人「元気むらさくぎ」が運用する助け合いライドシェアサービス。マツダが車両を提供している(撮影=高根英幸)

坂道を20分も歩かないとバス停にたどり着けず、そのバス停の発着時刻表にあるのは朝昼晩に1本ずつという様な状況で、どうしろと言うのか? 家族が面倒を見られる環境ならば良いが、そうでなければ通院も日々の食料調達もままならない。

厚労省の統計資料「国民生活基礎調査の概況」の19ページの表組みを見ると、60代で約6割、70代以上では7割以上の人が通院を必要としていることが分かる。もちろん中には通院まで必要ないケースもあるのだろうが、当然命に関わるケースもある。

「高齢者が子供をはねた」という事実は重たいが、それで免許を取り上げれば、「通院できなくて死ぬ」人も出てくる。交通事故死と病死ではショッキングな印象に差があるだろうが、人の命に軽々しく軽重は付けられない。

この問題の本質は道徳的ジレンマを起こす「トロッコ問題」(Wikipedia参照)である。だから両方を助ける努力をこそ議論するべきだ。

■車いすに装着すると自動で動く新モビリティ

免許の返納を迫るならば、少なくとも通院や買い物の方法を確保してからだと思う。例えば、トヨタ自動車は6月7日の「EVの普及を目指して」という戦略発表会で、歩行速度領域をカバーするパーソナルモビリティを3機種発表した。これまでもスズキ自動車の「セニアカー」など、足腰の弱った高齢者に向けた免許証不要の電動車いすはあったが、これをより進化させたものになっている。

高齢者の移動の自由を確保するためにトヨタが開発中のパーソナルモビリティ3種

車種は、セグウェイに似た小型の立ち乗りモデルと、着座する3輪型スクーターの電動車いすモデルに加え、普段使っている車いすと連結できるモデルの3種である。それぞれ時速2、4、6、10キロと速度が切り替えられ、立ち乗りモデルのみ10キロまで対応できる。どのモデルにも障害物を検知して止める機能が付いている。

さらに、ユーザーの後ろを自動追従する「ポチ機能」、つまり犬の散歩のような機能が付いており、疲れるまでは徒歩で歩き、疲れたら乗って帰るという自助生活を補助する機能が搭載される。

■資金面を含めた「自助生活の補助」を考える

高齢者のクオリティー・オブ・ライフ(QOL)を考えた時、効率化と楽さばかりを考えるのは企画側の傲慢だ。人が最も幸せなのは、自分で自分のやりたいことができること。つまり自助生活の補助こそが本来の目的だ。

だから可能な限り自分で歩く。ボケないため、衰えないために、もっと言えば人の尊厳のためにそれは重要だ。その上で、トヨタが名付けたポチ機能の様に、人の行動に付き従い、問題のある場面で衰えた能力をバックアップできることが求められている。

まだ開発中ではあるが、これらのモデルは地域内での無人自動運転機能を装備し、よく行く場所までのルートを登録したり、夜間にトヨタディーラーまで無人走行して点検と充電のサービスを受け、戻ってくる機能などが搭載されるかもしれない。可能性で言えば走行できる範囲を制限して遠くまで行かない様にしたり、現在地を発信したり、いざとなればリモートで指示を出して自宅に連れ戻すこともできるだろう。

購入価格の問題をクリアするためにトヨタのサブスクリプション(月額課金)サービスである「KINTO(キント)」での運用まで想定されているのだ。高齢者の事故の問題を考えるというのはこういうことを言うのだと思う。

■ドライバーの体調をクルマが管理する時代

運転能力の衰えとは、ある日を境に100から0に変わるものではない。本人も気付かない間に少しずつ衰えていくのだ。本人も自覚するほど運転が難しくなったらパーソナルモビリティへの乗り換えなどの方法があるとして、もう少し手前、年齢的にはそろそろリスクが増えているかもしれないが、本人の自覚が無い場合はどうすれば良いか?

これについてはボルボが面白い取り組みを始めた。いくつかのプログラムの中の一つが、車内カメラによってドライバーの状態を監視し、薬物やアルコールなどを使用しての運転を監視するシステムだという。現時点では20年の搭載を目指したシステムで詳細は発表されていないが、警告は当然としておそらくクルマを停止させる機能も搭載されると思われる。これは高齢者の誤操作の抑制にも効果があるだろう。

近い機能のものはすでにスバル・フォレスターやMazda3などにも搭載されており、こちらは車内カメラでドライバーの居眠りや脇見運転を監視・警告するシステムになっている。

スバルドライバーモニター。車内カメラでドライバーの表情の変化を判定して、警告をするシステムはすでに市販化されている

つまり自動車は発明以来130年の時を経て、ドライバーのヘルスコントロール領域に到達しつつある。これまで各社のエンジニアに伺った結果、ドライバーの視線や表情、動きなどでパニック状態にあるかどうかを判断することは技術的には可能なはずで、もし、踏み間違いでアクセルが全開にされた様なケースでは、その操作を無効にできるかもしれない。

■「自動停止ならどんな事故も安全」とも言えない

しかしながらこれには法律の壁がある。国際的な運転ルールの取り決めにはジュネーブ条約とウィーン条約があり、国連の道路交通安全作業部会で議論が行われているが、従来、運転の最終権限はドライバーにあり、そのドライバーは必ず車内にいなくてはならなかった。

つまりドライバーがアクセルを全開にしている場合、それを無視してシステムが違う判断を行ってはいけないルールだったのだ。しかし自動運転の実現に向けて、国際的にこれらのルールを見直そうという動きが16年頃から始まっている。そもそも自動運転の思想的根幹は「安楽な移動」ではなく、「ヒューマンエラーの排除」が目的であり、交通事故死亡者ゼロへ向けた取り組みである。

その理念から言えば、事故防止のためのシステム介入は容認されるべきで、新しい時代の議論が今まさに俎上(そじょう)に上がっているのだ。

スバルは衝突試験が義務付けられるはるか以前、1958年のスバル360から衝突試験を行ってきた。高齢者事故の問題にもリーダーシップをとってくれることを筆者は期待する

もちろん難しい点もある。12年12月、中央自動車道の笹子トンネル(山梨県)で天井板の崩落事故があり、巻き込まれたドライバーがアクセルを全開にして逃げ切った例がある。クルマはスバルのインプレッサWRXで、ラリー競技などにも使われたハイパワーモデル。

そのクルマがコンクリート片に何度もぶつかってボディー全体をひどく変形させつつもドライバーの命を助けたことは大いに話題になった。

もしこの時、車内カメラがドライバーのパニック状態を認識してクルマを止めてしまっていたらどうなっていたかは言うまでもない。

■手間やリスク面にも目を向けるべき

高齢者の暴走事故を防ぐためには、こういういくつものジレンマを乗り越えなければならない。過熱報道だけを見て、目の前の問題だけを解決すれば他に問題が生じてもそんなことは知らないというスタンスではどうにもならない。

そもそもセキュリティーは常にコストとの見合いで決まるものである。と言うと「人の命を金で計るのか!」という短絡的な声が上がるが、そうではない。そもそもここで言うコストとはお金だけでなく、手間やリスクなども含む概念だ。

例えば「地下鉄サリン事件」の反省として、駅で全ての乗客に対して空港並みのセキュリティーを導入したらわれわれの生活はどうなるのか?

あるいは2009年公開の「余命1カ月の花嫁」がヒットした時、医学的に検査の必要のない若い女性がこぞってがん検診に行き、本当に必要とする人が検診を受けられない状態が発生した。

当時日本乳がん学会の取材をしたことがあるが、そもそも検診そのものに医学的リスクがあることが知られていないことが問題だった。検査といえどもリスクはゼロではない。感染症であったり、レントゲンなどの被爆リスクであったり、体に負荷がかかる。だから若い時からたくさん検査を受けることは医学的には望ましくない。

統計的に検査のリスクが罹患(りかん)リスクと折り合うタイミングと回数を判断して医者は検診のタイミングをサジェストしているのだ。

■分かりやすさを求めていては解決しない

今回の高齢者事故の問題もそうだが、事実をちゃんと調べて、複雑な問題をきちんと説明しようとすると、とても手間がかかり、しかもばっさりと分かりやすい結論にはならない。そういう手間を惜しむ報道の問題も大きいが、分かりやすさばかりを求める読者・視聴者の問題も大きいのだ。

高齢者事故については、既述の様に少しずつ技術によるカバーが進んでいる。それぞれの領域のプロフェッショナルが、さまざまな問題を、いかに妥当な副作用で折り合いを付けるか日夜考え、状況改善に努めている。

代替移動手段の整備をした上で可能な人に免許証の返納を求めることも重要だろう。安全に運転するための講習なども必要だ。今社会に求められているのは一人ひとりがそういう事実と向き合って解決に向けて努力していくこと、プロフェッショナルの足を引っ張らないことであって、感情の赴くままに自分以外の誰かを悪者に仕立てて糾弾することではないのだ。

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池田 直渡(いけだ・なおと)
モータージャーナリスト
1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。現在は代表を務める編集プロダクション「グラニテ」で、自動車メーカーの戦略やマーケット構造の他、メカニズムや技術史についての記事を執筆している。

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(モータージャーナリスト 池田 直渡 写真=iStock.com 撮影=高根英幸)

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