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"生活は厳しい"しか言わないメディアの罪

プレジデントオンライン / 2019年7月18日 9時15分

選挙前には多くの候補者が「国民の生活は厳しい」と訴える。それは本当なのだろうか。統計データ分析家の本川裕氏は「さまざまな調査をみる限り、生活が苦しくなった人が多いとは言い切れない。だが、苦しさばかりを報じるメディアを信じると、本当に幸福度も下がってしまう」という――。

■ほんとうに暮らしは厳しくなっているか?

7月21日が投票日の参議院議員選挙では、安倍政権の経済政策アベノミクスの是非も大きな争点となっている。与党が6年にわたる経済の好調を強調しているのに対し、野党は「国民の暮らしは良くなっていない」と批判を強めている。

私が定期購読している東京新聞の7月11日の社説は「アベノミクス 暮らしは厳しくなった」と題して野党の見方を代弁するかのように次のように述べている。

<5月の毎月勤労統計では1人当たりの現金給与総額が5カ月連続のマイナス。街角の景気実感を示す景気ウオッチャー調査(6月)も2カ月連続の悪化だった。さらに2018年の国民生活基礎調査によると、一世帯あたりの平均所得額が4年ぶりに前年割れとなり、「生活が苦しい」と答えた世帯も約57%と高水準である。つまり政府や日銀がいくら回復基調を唱え株価や為替が安定していても、暮らしの現実は確実に厳しくなっている>

指摘されている指標の動きは本当に暮らしの厳しさを反映しているのだろうか。

賃金が低下していても、失業者が減り、就職率が上昇して、賃金を得られる者が増えていれば、トータルには暮らしは悪くなっていないかもしれない。所得や消費が減少していても、税・保険料負担軽減の対象者が増えていれば、あるいは一般の家庭が不要な消費を減らしているだけであれば、生活が苦しくなっていない可能性がある。賃金、所得、消費に関する客観的な指標だけで生活が悪化していると決めつけるわけにはいかないのである。

「統計探偵」を自負する筆者としては、「暮らしが厳しくなっている」と思っている国民が本当に増えているのか、それとも実は減っているのかを確かめる義務があるように感じる。

これは参議院選の与野党いずれかに味方したいからではなく、単に事実を見極めたいからだ。今回はこの「捜査」の結果を報告しよう。

「国民の暮らし」は客観指標だけでなく、主観指標から判断できる。それを確かめる必要がある。国民の暮らしに関する意識調査は、政府、民間で複数、行われている。前述の社説が引いている「国民生活基礎調査」もそのひとつである。まず、この調査の結果を確認してみよう。

■「生活が苦しい」人は増えているか?

厚生労働省の「国民生活基礎調査」の所得票では、毎年、生活意識について世帯主に聞いている。2018年の結果は「大変苦しい」「やや苦しい」「普通」「ややゆとりがある」「大変ゆとりがある」への回答が、それぞれ、24.4%、33.3%、38.1%、3.7%、0.6%となっており、前2者の「苦しい」の合計が57.7%である。上の社説が引いているのがこの数字である(図表1参照)。

■過去の「最悪の状況」から脱した水準を維持している

誰でも理解できることだと思うが、「生活にゆとりがあるか、苦しいか」と聞かれて、自分の生活は「ゆとりがある」とまでは言えないと考える者が多くなるのは当然であろう。結果、どちらかといえば「苦しい」に傾く。

実際、1980年から「苦しい」が「ゆとりがある」を下回ったことなど1回もなかった。ある年の「苦しい」の値が過半数だということだけで、暮らしが厳しくなっていると結論づけるのはやや無理があるといえる。「苦しい」と答える人が増えているか減っているかを見なければならないのである。

長期的な推移で、1990年前後のバブル経済の崩壊以後は「苦しい」、特に「大変苦しい」が増加し、「普通」が減少する傾向がかなり長く続いた。こうした傾向はアベノミクス2年目の2014年をピークに逆転するに至った。「普通」が増え、「苦しい」が減少したのである。

その意味ではアベノミクス期に生活は改善したように見える。なお、第2次安倍政権の発足は2012年12月であるが、ここでは、新政権の政策的影響が出始める2013年をアベノミクス1年目としている。

ところが、2017年からは「大変苦しい」が再度増加に転じ、2018年には「普通」も再度減り始めた。つまり、バブル崩壊後の傾向に逆戻りしつつあるように見えるのである。だが、単年ではなく、数年単位の推移で見てみよう。すると図の通り、過去の最悪の状況からすれば、そう悪くない水準を維持しているといえる。

■では、生活は向上しているか?

次に、「国民生活基礎調査」より昔から、暮らしに対する意識を継続的に追っている内閣府の「国民生活に関する世論調査」の結果を見てみよう(図表2)。

生活の向上感(1965~2018年)

「昨年と比べて生活は向上しているか、低下しているか」というシンプルな設問の調査である。1973年のオイルショック以前の高度成長期には「向上している」(赤線)が「低下している」(青線)を上回っていたが、それ以後は、すべて両者は逆転したままである。オイルショック以降で両者がもっとも近づいたのは、まだバブルの余韻が残っていた1991年である。

その後、「低下している」が増え「向上している」が減るという、まさに「失われた10年」「失われた20年」という言葉が当てはまる状況となり、「低下している」がリーマンショック前後の2008~2009年にピークを記している。

2010年以降、景気は最悪の状況を脱し、民主党政権期を経て、第2次安倍政権期になっても、持続的に「低下している」は減り、「向上している」あるいは「同じようなもの」(黒線)が増えてきている。少なくとも2018年の6月までは暮らしは厳しくなっていない。2014年は一時的に「低下している」が増えたが、これは消費税の5%から8%への引き上げの影響と見られる。

なお、「国民生活に関する世論調査」では別の設問で「生活満足度」を聞いているが、前出の「同じようなもの」と回答した比率と、この「生活に満足している」人の比率がほぼパラレルに推移している点が興味深い。こちらの生活満足度の指標から判断しても、アベノミクス期に「暮らしが厳しくなった」とは認めづらい。

■日銀や民間の意識調査では、暮らしは厳しくなっているか?

以上、厚生労働省と内閣府の調査結果を調べてみた。政府の調査は信用できないという向きもいるだろうから、最後に、日本銀行と2つの民間団体(大手広告代理店・博報堂と大学学術機関・JGSS研究センター)の調査結果を紹介しよう(図表3参照)。

暮らしは苦しくなっているか(日銀と民間団体の調査結果の推移)

日銀のアンケート調査の結果を見ると「ゆとりがなくなってきた」(青線)と感じている回答は2009年のピークからアベノミクス1年目の2013年まで一気に下落し、その後は、消費税引き上げの影響で上昇するなどしながら比較的低い水準で推移している。

博報堂の定点調査の結果を見ると「暮らし向きが苦しくなった」(黒線)という回答は、リーマンショック期にピークを記した後に、下がり続け、アベノミクス期にもそれが継続し、2018年に最低となっている。

JGSS調査という学術的な社会調査では、「家計状態が不満である」人(オレンジ線)の割合はほぼ継続的に低下しており、アベノミクス期もその延長線上にある。

■「暮らしが厳しい」と言い続けることがもたらす悪影響

以上、暮らし向きに関する政府の意識調査2種とその他の意識調査3種を調べてみると、同じ国民を対象にしているのであるから当然ではあるが、聞き方によって多少の違いはあってもほぼ同一の傾向を示している。

すなわち、基本的に、アベノミクス期に国民の暮らしは良くなっているとは言えても、厳しくなっているとはとてもいえない。直近の年次には、やや厳しくなっている兆候もあるが、それでもアベノミクス期全体で過去の水準と比較して暮らしが厳しくなったとはいえない水準を保っている。

失業率や就職率などに見られるアベノミクス期の雇用改善は明らかであり、「トータルな生活実感」としては、実質賃金の減少のマイナス効果を補って余りある状況だと言ってもよいのではなかろうか。

もっとも、第2次安倍政権以前の民主党政権当時から継続的に暮らしが改善していると見られるケースが多く、アベノミクスという政策が功を奏して改善が図られたとは必ずしもいえないことも確かである。出口の見えない金融緩和や財政赤字の累積といった多くの犠牲を払いながら、単に、経済循環上の回復傾向を邪魔しなかっただけとも解せるのである。

問題は、誰かに「暮らしが厳しい」と言われると、明確な証拠もなく「そうだそうだ」と相づちを打ってしまうわれわれの精神態度にある。したがって、新聞やテレビで「暮らしが厳しい」ことを示す記事、映像、インタビューなどを見聞きすると単純にそれが世の中の大勢だと思い込んでしまうのである。

■マスコミの報道が社会のマイナス面の指摘に偏りがちな理由

奇妙なことに今回の参議院選においては野党ばかりでなく、一部与党まで国民の暮らしが厳しくなったと半ば認めているように見受けられるのである。

世論調査や意識調査はそもそも国民の間でそういう誤解が生じないよう、大変な手間と税金を投入して実施されているが、メディアはそれらの結果を丹念に取り上げることはしないのである。

参議院選を前に国民の暮らしが良くなっているのかがひとつの争点になっているのに、新聞紙上で、今回取り上げた種々の世論調査や意識調査の結果がほとんど検証されていないのはいかにも不思議である。

欧米ではマスコミの言うことをそのまま信じる者は少ない。それに対して、日本人など儒教国の国民は「文」への尊重精神からか、マスコミの言うことを真に受ける傾向が強い。

このため、儒学者的な態度から社会のマイナス面の指摘に偏りがちなマスコミの報道が、自分たちの社会に対する暗い見方を必要以上に増幅するという副産物を生んでいるのも確かであろう。そして、これが、おそらく比較的高い所得水準の割に日本など儒教国の幸福度が世界的に見て低い大きな理由のひとつになっていると思われる。

■「報道機関を信頼している」人ほど社会を暗く考え幸福度も低い

内閣府が2013年に行った「生活の質に関する調査」では、組織への信頼度別の幸福度を集計しているので図表4に掲げた。これを見ると、一般に、「国」「地方公共団体」「地方議会」「企業」といった種々の組織に対する信頼度が高い人ほど幸福度が高いことが分かるが、「報道機関」に関しては、「信頼している人」の幸福度があまり高くなく、また「信頼していない人」の幸福度が比較的高いという結果になっている。

組織を信頼しているかによる幸福度の違い

このデータの解釈の仕方としては、批判的な見方をする人ほど報道機関への信頼度が特に高く、そういう人はもともと幸福感が薄いととらえるよりは、単純に、報道機関を信頼している人ほど社会を暗く考えてしまって幸福度も低くなると考えたほうがよいだろう。

社会をよりよい方向に改善していこう、という意識・意欲の高さは日本社会の進歩を生んできた日本人の貴重な国民性であるが、時としてそれは事実誤認を生みやすく、しかも幸福感を阻害することになっているとしたら、やはり、改善意欲の働かせ方についてはもう少し考え直すことが必要なのではないだろうか。

(統計探偵/統計データ分析家 本川 裕)

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