72歳の父が35歳の長男を殺すしかなかった理由
プレジデントオンライン / 2019年8月22日 11時15分
※本稿は、読売新聞社会部『孤絶 家族内事件』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■精神障害になって16年、急激に悪化した
よく晴れた秋空は、ほぼ無風だった。
2017年秋、男性(81)は、関東で行われたマスターズ陸上大会のトラックに立っていた。スターティングブロックを少しだけ調整し、100メートル先のゴールを見据えてゆっくりと息を吐いた。80代になって、初めてのレースだ。
バン——。号砲とともに勢いよく飛び出すと、小さな歩幅ながらピッチを上げていく。隣のレーンの選手との距離が少しずつ開いていったが、足の回転は落ちない。最後は腕も伸びきり、少し顎も上がったが、その組の2着でゴールラインを通過した。
ベストタイムからはほど遠い記録。男性は記者を見ると、「全然ダメだったね」とはにかんだ。それでも帰り際に銀メダルを授与されると、感慨がこみ上げたようだった。「人生で初めて。もう、こんなのは縁がないと思っていたから」。
長男とかけっこした記憶が、鮮明によみがえっていた。
桜が咲き始めていた8年前の3月。男性は自らの手で息子を殺(あや)めた。
神奈川県の都市近郊にある、緩い坂道のそばの一軒家でのことだ。深夜、男性は当時35歳の長男の寝顔を見つめた。
疲れ切っていた。この夜も2時間以上、失禁して家の中を歩き回った長男の面倒を見た。
「親父さん、介添えしてくれ」——。普段は「お父さん」と呼ぶ息子が、真っ暗な廊下で、寝間着のズボンをぐっしょり濡らしながらつぶやいていた。同居の妻や娘を起こさないように、そっと、下着と服を着替えさせてやった。精神障害になって16年。長男の病状は、数日前から急激に悪化していた。
■日記に書いていた「愛しかった。複雑」
日記をつけた。
「今後も再発の可能性がある」。2日前の主治医の言葉が頭から離れなかった。入院させるなら費用は借金するしかない。抵抗する息子を連れて行こうにも、警備会社を呼ぶには10万円単位の費用がかかる。何度考えても、金策は尽きていた。妻や娘をまた苦しめてしまうのが、何よりつらかった。
気がつくと、寝室のタンスから手探りでネクタイを取り出していた。長男が昔、使っていたものだ。上着のポケットに突っ込み、息子の部屋に戻った。
3人きょうだいの末っ子だった長男は、2200グラムの未熟児で生まれた。メーカーで営業をしていた男性は、5歳の頃から息子を自宅前の坂道に連れ出してはプラスチックのバットを振らせ、ボールを投げて熱心に教えた。
高校ではソフトボール部。息子は身長も伸び、力のあるバッターに成長した。
忘れられない試合があったのも桜の頃だった。全国大会で、相手は前年の優勝校。雨が降りしきる中、両校無得点で迎えた三回。息子の打球はライナーで飛び、3点本塁打になった。
当時の公式スコアが、地元の競技団体に残っている。長男の名前が記され、「○○の本塁打で試合をリードした」とある。逆転され、試合は負けた。それでも男性は、幼い頃から坂道で鍛えた息子が放った大飛球が誇らしかった。
■受け入れることができなかった「重い障害」
高校を卒業すると、飲料メーカーに就職した。職場ではトラブルもなく、真面目に働いた。
ところが、約1年後、変調が始まった。職場の同僚に対する被害妄想から始まり、出社を拒否して錯乱状態になった。
数カ月で病院を退院して家に戻ってきたが、妄言や暴力が続いた。物であれ、テレビの画面であれ、とにかく赤や黒い色に反応してしまう。そんな時、長男は窓から物を投げ捨て、力の弱い母親の額に、たばこを押しつけた。
男性は、「刺激したら、また妻に何をされるか分からない」という恐怖心から、長男を怒ることができなかった。火傷を負った妻に対し、「お前が悪いんだぞ」と、あえて長男の前で言うことでしか、長男の気持ちを落ち着かせることはできなかった。2人で自宅そばの畑に停めた車の中に逃げ込んだ時は、外から車体をすさまじい力で揺すられ、生きた心地がしなかった。
重い障害という事実を、男性は受け入れることができなかった。
父子そろってプロ野球の巨人ファンだった。長男は、居間のテレビで野球を見る時は機嫌が良く、巨人が勝てば原辰徳監督をまねて、両親と拳を合わせて「グータッチ」をすることもあった。穏やかな時には、「お父さん、おやすみ」と、甘えるように言うことだってあったのだ。
■自治会長「一人で抱え込んでしまったのだろう」
とりわけ思い出に残っているのが、自宅から車で数分の公園に出かけた際のことだ。病状が安定していた時期だった。男性の提案で、2人でかけっこをした。距離にして50メートルくらいだっただろうか。
結果は、少しの差で男性の勝ちだった。もともと体格の良かった長男は、ひきこもりがちな生活が続いたこともあり、高校時代に比べて体重が数十キログラム増えていたのだ。それでも、長男は楽しんだように見えた。病気になってからは数少ない、親子の交流だった。
「きっと穏やかな息子に戻る」。そう信じて疑わなかった。
「家庭のことは何も言わなかった。一人で抱え込んでしまったのだろう」
男性と親しかった当時の自治会長(74)は振り返る。
男性は自治会の防犯担当の役員として、地域の街灯をこまめに点検して回っていたという。早朝から活動を始め、愚痴もこぼさずに、黙々とパトロールに精を出していた。そんな姿に自治会長は、「熱心な人だな」と感じていた。
■暴れても保護はかなわず、経済的には限界に
2010年の3月下旬。事件の数日前に、症状の悪化は始まった。
長男は突然、大声で叫んで家中の壁や扉を壊し、外に飛び出して通行する車を止めた。本人は「交通整理」のつもりだったようだ。自宅前の道路は渋滞し、警察が来た。
警察が来たことは、それまでにも何度もあった。男性は長男が暴れるたびに警察を呼び、保護を訴えた。ところが、警察が来ると長男は落ち着きを取り戻し、処方された薬をおとなしく服用した。そのため、「保護してほしい」という男性の願いは、いつもかなうことがなかったのだ。
長く通院を続け、薬を服用してきたことで、病状は安定していると男性は思っていた。突然の悪化に戸惑った。「治るんですか……」。主治医に聞くと、今後も再発する可能性を告げられた。
長年の介護で、経済的にも限界が来ていた。
〈不治の病。人生の終焉を息子と共にしたい〉。日記にそう記し、妻や同居の娘に無理心中をほのめかした。この時期は、長男の姉に当たる娘と、その子どもたちも同居していた。
「ダメだよ。頑張ろうよ」と娘に言われ、いったんは思いとどまった。だが、その翌日にも、男性はやはり日記にこうつづった。
それを発見した長女は、また男性に声をかけた。「変なこと考えないで」。孫にもこう言われた。「おじいちゃん、僕もいるから、一緒に頑張っていこうよ」。男性は「そうだな。おじいちゃん、頑張るよ」と応じるのが精いっぱいだった。
■「息子と家族を救うには、自分が責任を取るしかない」
長男が失禁したのは、その夜だった。この子は病気のせいで暴れたり、外に出て人に迷惑をかけたりするようになってしまっている。かわいそうだった。妻の体調も思わしくない。もし自分が死んだら、どうしたらいいのか——。
「息子と家族を救うには、自分が責任を取るしかない。自分一人が悪者になれば良い」
決心すると、ネクタイを長男の首に回していた。拳を振り上げて抵抗してきたが、約6分間、力を込め続けた。後遺症でさらに苦しめたくはなかった。長男が動かなくなると、その場で自ら110番通報し、自首した。
事件がテレビのニュースで報道されると、男性宅前に報道陣が集まってきた。その様子に驚いて駆けつけた自治会長は、長男が壊した物が散乱した室内を見て、茫然(ぼうぜん)とした。
「たとえ相談されたとしても、自分に何ができただろうか」。立ちつくすしかなかった。
殺人罪で起訴された男性の裁判員裁判には、自治会長の上申書も提出された。男性の自治会活動に対する熱心な姿勢などを評価し、寛大な刑を求めるとともに、こう書かれていた。
〈会長として、自責の念にかられるばかりであります。家庭内のこうした事情を公開し支援等を求める難しさを考慮すると、決して他人事とも思えず、地域としてこうした事案にどう対応してゆくべきなのか、考えても考えても対策が見えてまいりません〉
■僧侶の言葉、妻の支えで刑期を全うした
判決は、男性が16年間にわたって長男の面倒を見てきたこと、介護によって心身が疲弊していたこと、妻や他の家族を守らなければいけないと考えたことなどを認定し、「一家の長としての責任を果たすために殺害を決意した。被告人の苦労がいかばかりであったかと推察される」と述べた。その一方で、「被害者なりに生きる希望があり、殺害されなければならない落ち度は何らないにもかかわらず、その尊い命を若干35歳で奪われた。結果は誠に重大だ」として、懲役3年6月の実刑を選択した。
刑務所で男性は毎日、息子の戒名をノートに書き、冥福を祈り続けた。
窓越しに雪がつもる光景を見た時は、「外に5分でも立てば……」と自殺を考えたこともあった。しかし、教誨(きょうかい)の時間に僧侶から言われた一言が頭をよぎった。「息子さんの分も長生きしてください。決して投げやりになってはいけない。自殺してはいけない」。何度涙を流したか分からない。何度も面会に足を運んでくれた妻の支えもあり、刑期を全うすることができた。
「息子のためにも、一日でも長く生きていこう」。固く決心した。
■自治会長が「地域の輪」に戻るきっかけを作った
出所後は妻との静かな暮らしが始まった。
長男を殺めた日を月命日とし、妻、娘家族とともに、墓参りをするのが毎月の決めごとになった。元から畑は趣味だったが、自宅脇にある10メートル四方程度の畑で野菜を育てるのが、もっぱらの日課に。冬はほうれん草、ネギ、白菜、大根。夏はなすやトマト、きゅうり、スイカ。季節が巡るごとに、味も見た目も良い野菜が採れるようになってきた。料理は男性の担当だ。
今では作りすぎた野菜を近所に配りもする。しかし、出所当初はなかなか地域の輪に戻る勇気が出なかった。
そんな男性にコミュニティへ復帰するきっかけを与えてくれたのも、裁判で上申書を提出した自治会長だった。「いろいろな事情があって事件に至ったんでしょう。法的な制裁も受けている。温かく迎えてあげて、みんなで一杯やるかくらいの気持ちで良いじゃない」。自治会長の誘いで老人会のレクリエーションに参加するようになり、再び地域の輪の中に入っていけるようになった。
マスターズ陸上に誘われたのも、出所して間もなくのことだ。新聞広告で大会の存在を知り、自分より高齢のアスリートたちがはつらつと競技に臨む姿にひかれた。走っていれば、一緒にかけっこをした長男のそばにいられるような気がした。陸上競技での仲間も、たくさんできた。
地域や陸上の仲間の中に、事件のことを知っている人はたくさんいるはずだ。それでも、自分たちのことを受け入れてくれた。「人の温かさに救われた」と夫婦は思う。
■「がんと違うから」周りには言えなかった
記者が取材で男性の自宅を訪ねたのは、出所から3年以上がたった、2017年の早春だった。事件の年から数えて、8度目の桜がもうすぐ咲こうとしていた。
長男の部屋は、畑で採れた野菜や生活用品の置き場になっていたが、ほとんどが事件当時のままだった。長男が暴れた際に殴って空けたドアの穴、姉からプレゼントされた色あせたポスター……。男性はその部屋に入るたびに思い出す。テレビや棚、布団の配置、長男が静かに寝ている時の頭の向きなどを。
事件当時、男性の妻は、長男の隣の部屋で眠っていた。気づいたのは息子が動かなくなった後だったが、夫を責めることはできなかった。「お父さんが罪を1人でかぶってくれたんです……」。取材中、絞り出すように言った。
居間には、長男が高校時代にソフトボール大会で受賞したトロフィーがあった。月命日の時などに、それを見て夫婦で思い出を語り合い、涙が止まらなくなることがある。
「周りには言えなかった。がんとか、そういう病気とは違うから」。男性は正座してうつむき、記者の前で何度も号泣した。「また会えるなら謝りたい。あの試合は一生分の親孝行だった。いい男だったんだよ。なのに病気が、あんなことをさせたんだよ」。
男性と一緒に、その年の桜を見た。息子の運転する車で、よく一緒に行ったという近くの神社。男性は、自分が作ったよもぎ団子を長男がおいしそうにほおばった思い出を、懐かしそうに語った。
■精神障害の子どもを親が死なせる事件はなくならない
同年4月に記事が掲載された後も、記者は男性を幾度も訪ねた。
翌2018年の1月、首都圏に大雪が降った日に、男性から突然、電話がかかってきた。涙声だった。大阪府寝屋川市で、精神障害の娘(当時33歳)が両親によって自宅の小部屋に約15年間にわたって監禁され、栄養不足で死亡した事件をニュースで知ったという。
父親の通報で駆けつけた大阪府警の警察官が娘の遺体を確認した時、身長は1メートル45センチ、体重は19キログラムしかなかった。行政機関からも要支援の対象者として把握されていなかったという。家族は地域から「孤立」していた。男性の長男とは、精神障害にかかっていた期間も、亡くなった年齢も、ほぼ同じだった。
長期にわたって監禁し、死に至らせたのは許されることではない。しかし、男性は、自分が極限まで追い込まれた時の心情を、その両親に重ねないではいられなかった。
「暴れたら、人様に迷惑かけたら、どうしようって思ったんでしょう。それでも、自分たちの子だから、そばにおいておきたかったはず。つらいよなって、今、母ちゃんと話していた。だって同じだもん、うちと……」
精神障害の子どもを、親が死なせる事件は後を絶たない。そうした事件を知るたびに、男性は胸をかきむしられる思いだ。これ以上、同じような目に遭う人が出ないようにするには、どうすればいいのだろうと。
■今も思い出しては自らを責めている
2018年夏、男性は前年に続いて、マスターズ陸上大会のトラックに姿を見せた。
スタンドにいる記者に視線を送り、目が合うと手を挙げた。号砲が鳴り、駆け出したが、前回より歩幅は小さくなり、顎もやや上がり気味だった。タイムは0.4秒落ちた。レースを終えて戻ってくると、今回も、「あんまりダメだったな」と照れ笑いを浮かべた。
事件後は自殺も考えた。今も思い出しては自らを責め、苦しむことの繰り返しだ。それでも、こうやって健康を保って生き抜き、息子の供養を続けなければならない。そう自分に言い聞かせているという。
子どもの障害や病気に悩んだ親が、子どもを手にかけてしまう殺人・心中事件は相次いでいる。読売新聞が2010年1月から2017年3月までに起きた計50件(未遂含む)を調査・分析したところ、加害者は65歳以上が7割を占め、子どもの「ひきこもり」や暴力にもかかわらず、長く周囲から支援を受けられなかった高齢の親が事件を起こしている傾向がわかった。
■同居する親に負担がかかりすぎている
調査したのは、警察発表や裁判資料などで、親が子どものひきこもりや心身の障害、難病などに悩んでいたことが確認できた事件。被害者が18歳未満の事件は、児童虐待など動機や背景が異なるケースが多く、調査対象から除いた。
50件の動機や背景(重複あり)を分析したところ、「親が亡くなった後などの子どもの将来を悲観」が約6割の28件に上った。「子どもからの暴力」も20件と目立った。ほかに「経済的な不安」(9件)、「介護疲れなどによる親のうつ状態」(6件)などもあり、福祉・医療面の支援不足が事件につながった可能性がある。
親が介護や世話をした期間が確認できた44件のうち、20年以上が22件を占めた。加害者となった親(53人)の事件当時の年齢は平均69歳。65歳以上の高齢者が37人と7割を占めた。被害者となった子ども(51人)は平均39歳だった。
事件が起きる背景には、障害などのある子どもと同居する親の過重な負担があると専門家は指摘している。親の高齢化が進む中、社会全体で負担軽減を図ることが求められている。
(読売新聞社会部)
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