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なぜ日本中が「あおり運転男」に怒っているのか

プレジデントオンライン / 2019年8月20日 18時15分

2019年8月19日、取手警察署に入る宮崎文夫容疑者 - 写真=時事通信フォト

茨城県守谷市の常磐自動車道で起きた「あおり運転事件」が日本中を騒がせている。なぜこれほど注目を集めているのか。文筆家の御田寺圭氏は「『自分はただしい』と確認したい不安な人たちと、身近な危険に怒れる人たちの声が共振しているからだろう」と分析する――。

■「映像」がセンセーションを巻き起こした

茨城県守谷市の常磐自動車道で10日に「あおり運転」をして車を停止させ、運転手の男性を殴って負傷させたとして、茨城県警は18日、傷害容疑で全国に指名手配していた住所・職業不詳、宮崎文夫容疑者(43)を逮捕した。大阪市東住吉区の自宅とみられるマンション近くの路上で、県警捜査員が取り押さえた。捜査関係者によると、「殴ったことは間違いない」と容疑を認めている。
(毎日新聞「犯人蔵匿・隠避容疑で51歳女逮捕 あおり運転 逮捕の男は暴行認める」2019年8月18日より引用)

近頃連日のように話題となっている「あおり運転暴行事件」。全国指名手配されていた男が逮捕されたほか、同乗していた女も男をかくまった疑いによって逮捕された。

あおり運転の果てに相手の運転手を執拗に殴打するなど、身勝手極まりない行為である。その危険性の高さもさることながら、事件映像が記録されていたことにより大きなセンセーションを呼び、容疑者の男に対する世間の風当たりはひじょうに厳しいものとなっている。

■「怒りを集めた事件だから厳罰にすべき」の危なさ

一時は行方が分からなくなっていた容疑者への「世間の怒り」はすさまじく、ネットでは「特定班」と通称されるような、個人情報を暴き出すことを目的とした人びとが動き始めた。掲載されていたプロフィールや顔写真が一致することから、犯人のものとおぼしきインスタグラムのアカウントが発見され、たちまちコメント欄は罵倒の嵐が吹き荒れることとなった。同乗していた女性としてまったく無関係の人物の名前が挙げられてしまい、個人の名誉が著しく傷つけられる深刻なデマも発生した。

ネットのニュースやSNSを眺めてみると、犯人に対しての辛辣なコメントが並ぶ。「厳罰に処すべき」との声が根強い。事件そのものがいくら耳目を集めるようなものであろうが、あくまで刑罰は犯した罪によって法律で定められたものが適用されるだけだ。「メディアで注目され、世間のより多くの怒りを集めた事件なのだから、厳罰に処するべき」という論理は、法治国家ではなく人治主義のそれに接近していく。

「悪」を晒しものにし、これに私刑を加えることは、しばしば「正義の暴走」として批判される。ただし「正義の暴走」それ自体は「正義感に燃える人びとがこれを行使したくてうずうずしている」というわけではなく、「自分がただしい側にいることを相対的に保障してくれる存在で安心したい」と考える、人びとの不安の裏返しでもあるだろう。

■自分は「ただしい側の人間だ」と思いたい

だれもが無遠慮に罵倒し、石を投げてもよい存在が世間にはいつでも求められている。なぜなら「ただしくない」存在を規定し、これを糾弾・非難することによって、自分の「ただしさ」が保証されるからだ。自分のただしさを確認してくれる証人は多ければ多いほどよい。世間のだれもが糾弾する「悪」を、みんなで一斉に制裁することによって、その場に参加する全員が「自分はちゃんとして生きている側なのだ」という肯定や安心を手にすることができる。

無関係な人間を犯人とするデマを大勢の人が信じてしまうほど(デマで犯人とされた無実の本人がそれを否定している現在にいたってもなお)、社会の「正義」が暴走してしまうのは、まさに私たちにとって「ただしい側でいられる」ことへの欲求が高まっていることを示唆する。

「悪」とされた人間をより苛烈に糾弾すればするほど、自分がもし「悪」とされてしまったときのことを想像すると恐怖が強まる。自分がいつでも「ただしい」側で立っているかどうかが不安になってしまう。まさしく皮肉としか言いようがないが、「悪」をみんなで叩き潰し世直しをすれば一時は安心できるが、しかしかえって自分が「ただしい側」にいるのかどうか不安が強まり、その不安を打ち消すためにますます「悪」とされる存在を追い求めるようになる。

■「身近な危険」を排除したい治安意識

普段なら冷静にふるまえているはずの人でも、本件容疑者の男には同様の態度を示せているとはかぎらない。それは上述したような「正義の暴走」「ただしい側にいたいという不安」ですべてが説明できるわけではない。

各メディアで大きく伝えられたことから世間的な「怒り」が喚起されていることに加え、自動車を利用して日常生活あるいは仕事をする者であれば、だれもが一度は被害を経験するほど「あおり運転」がきわめて身近な存在であるという点も無視できないだろう。「自分の身に降りかかりうる危険を、この機会にしっかりと排除するべきだ」という治安意識によるものも少なくはないだろう。

内閣府「令和元年版交通安全白書」によれば、高速道におけるあおり運転の摘発件数は2017年が6139件だったものが、2018年には1万1793件にほとんど倍増している。言うまでもないが、摘発件数の急上昇はあおり運転がわずか1年間で急増したためではなく、これまで身近な存在だった危険行為の認知度が上昇したことが要因だ。

■「悪人」イメージにぴったりの男が現れた

「あおり運転」は、これまでだれもが日常で感じうる危険であったがゆえに、これに対する怒りは多くの人に共有されていた。人びとが音もなくしかし着実にため込んでいた「静かな怒り」を一気に噴出させるきっかけとして、今回の犯人はうってつけの人物だった。

というのも、「あおり運転をするような奴は、自分勝手で、乱暴で、他人の生命を危険にさらすことを何とも思っていない悪人に違いない」という人びとのイメージにまさしく一致する、画に描いたような男が映像付きで現れたからだ。

「私たちは、この男のような狂暴で身勝手な人間に、毎日脅かされているのだ。そんなことはあってはならない」と、多くの人がわが身に起こったことのように共感した。「正義を求める不安な人びと」と「危険にさらされる怒れる人びと」――思惑の異なる両者ではあるが、偶然にもひとつの出来事によってその声が合わさり、増幅されたことで、事件および容疑者へのバッシングをより激烈なものにしている。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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