「有言実行で見事に優勝」大坂なおみを奮い立たせた7枚のマスクの力
プレジデントオンライン / 2020年9月24日 18時15分
2020年9月8日、全米オープンテニス大会9日目の女子シングルス準々決勝の試合で、ジョージ・フロイドのマスクをつけた大坂なおみ(日本)が米国のシェルビー・ロジャースに勝利した後、スタンドに向かってボールを打ち込む。 - 写真=Sipa USA/時事通信フォト
■7人の名前が入った7枚のマスクで人種差別に強く抗議
9月12日のテニスの全米オープン女子シングルスで、大坂なおみ(22)が2年ぶりの優勝を決めた。今回は胸のすくような力強いプレーだけではなく、大坂の着けたマスクにも世界中から注目が集まった。
大坂は黒いマスクに白人警官らに殺害された黒人被害者の名前を白い字で刻み、決勝までの7試合の入退場の際などに着用した。男女計7人の名前がそれぞれに入った計7枚のマスク。アメリカ社会の根深い人種差別に強く抗議し、大きな効果を上げた。
大坂にとっては自らを崖っぷちに追い込む賭けでもあった。途中で敗退すれば、約束した7枚のマスクは着用できない。大坂のテニス人生にも大きな傷がつくことになる。
8月に黒人男性が警官に殺害される事件が起きると、次のメッセージを出して、試合に出ないと表明したこともあった。
「私はアスリートである前に1人の黒人女性。私のテニスよりも、今は注目しなければいけない大切な問題がある」
このメッセージは大きな反響があった。とてつもないプレッシャーを受けながら、大坂は全米オープンで見事に結果を出した。
■「スポーツに政治を持ち込むな」といった批判もあった
大坂なおみは、父親がハイチ出身、母親が北海道生まれ。大阪で生まれ、国籍は日本だが、3歳のときからアメリカに住んでいる。
トランプ大統領はハイチについて「その貧困さはまるでゴミだめだ」と嘲ったことがある。大坂はそのハイチの歴史について父親から多くの話を聞きながら育った。これが彼女の原点であり、人種差別の撤廃を求めるエネルギーの源となったのだろう。
大坂のブラックマスクに対しては、「アスリートは競技だけをやって余計なことを口にすべきではない」とか「スポーツに政治を持ち込むな」といった批判もあった。それでも大坂は、ツイッターでの投稿やデモへの参加を続け、全米オープンではブラックマスクも着けた。批判に動じず、アスリートとして信念を貫いた。
アメリカでは黒人が警察官に不法に扱われて命を落とす事件が相次いでいる。それでもトランプ大統領は人種差別撤廃に消極的で、むしろ大統領戦を見据えて白人層の支持を固める発言を繰り返している。自国第一主義によってアメリカ社会に深刻な分断を生んだトランプ大統領は、大坂なおみのブラックマスクをどう思っているのだろうか。
■中国の選手がマスクで習政権に抗議をしたらどうなるか
同じように中国の習近平国家主席にも大坂のマスクについて聞いてみたい。一党独裁国家の中国では国民の自由や民主化を求める運動に対する厳しい弾圧を続けてきた。その最悪のケースが1989年の天安門事件だった。現在も香港において自由と民主化を求める市民を弾圧している。
習政権の傀儡(かいらい)に過ぎない香港政府が昨年4月、逃亡犯条例の改正案を議会に提出。これをきっかけに民主化を求める大規模な抗議デモが若者や学生の間で巻き起こった。溜まったマグマが噴き出すように香港市民の怒りが爆発した。昨年6月には参加者が香港史上最大規模の200万人にも膨れ上がるデモも行われた。
香港市民の抗議に対し、習近平政権は今年5月の全人代(中国の国会)で「国家安全法」を可決。即座に香港に導入して著名な活動家らを次々と逮捕するなど抗議運動を取り締まっている。
仮に中国の有名なスポーツ選手がマスクを着け、大坂なおみのように習近平政権の弾圧を批判したら、その選手は選手生命だけでなく、命も危なくなるに違いない。一党独裁という政治体制ほど怖いものはない。
だが、そんな中国にも怖いものはある。国際社会からの批判だ。欧米を中心とする国際世論が中国の共産党独裁体制を監視し、批判していくことが肝要だ。日本も国際社会の一員として協力を惜しんではならない。
■なぜ日清食品の広告はナイキと比べられ、批判されたのか
全米オープンでの優勝後、大坂なおみはメディアの取材に「コート外の出来事が私を強く押してくれた」と語り、メディアも彼女の人種差別に対する抗議を大きく評価した。
たとえばアメリカのニューヨーク・タイムズ(電子版)は「社会正義を呼びかけながらタイトル獲得」との見出しを掲げ、「大坂はコートの内外で主張を訴えた」と報じた。イギリスのガーディアン(同)も「試合と同じくらい大坂は強力なメッセージを伝えた」と評価した。
また、大坂の出演する広告では、日清食品とナイキの演出がまるで違うとしてネット上で批判されている。日清食品の広告は大坂のかわいらしさやファッション性を強調したもので、人種差別に抗議するメッセージはない。一方、ナイキの広告は黒人差別への反対運動を連想させる社会的なインパクトのあるものだった。
いまや社会的メッセージを盛り込んだ広告は世界的常識である。日本のスポンサーはその点を自覚し、世界で認められる広告を出してほしい。
■「私はメッセージを運ぶ器みたいなもの」
全国紙の中で大阪なおみのマスクを最初に社説で取り上げたのが、9月15日付の朝日新聞だった。
朝日社説は書き出しで「社会が抱える問題にひるまず立ち向かう姿勢と、重圧に屈しないアスリートとしての成長。その双方を示した偉業だ」と高く評価し、こう指摘する。
「米国で構造的な人種差別に抗議する『ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)』運動が続くなか、大坂選手は犠牲者たちに静かに寄り添いながらゲームに臨んだ」
「決勝まで7試合。警官による暴力で亡くなった7人の氏名を書いた7枚のマスクを用意し、勝ち上がるごとに披露していった。『私は人々に気づきを広げるために、メッセージを運ぶ器みたいなもの』と語った」
「双方を示した偉業」と評価し、「メッセージを運ぶ器」という大坂の言葉を取り上げるところなど実にうまい書き方である。
だが、「大坂なおみ選手 ボールは私たちの側に」という見出しはよく分からない。社会正義の実現をテニスの試合に重ね合わせたのかもしれないが、見出しは一目で分かることが重要だ。朝日社説らしいと言えばそれまでだが、斜に構えているようなところが鼻に付く。
■アスリートが試合と引き換えにするぐらい人種差別は深刻な問題
朝日社説はさらに指摘する。
「同様の動きは他の米スポーツ界でも見られる。プロバスケットボールや大リーグでは試合のボイコットがあった。選手として何より大切な、試合に出て結果を出すことと引き換えにしてでも、訴えねばならない事態がいま起きている。そんな切迫感の発露と見るべきだろう」
大阪なおみも前哨戦で一時棄権を表明したが、アスリートが試合と引き換えにするぐらい人種差別は深刻な問題なのである。沙鴎一歩は朝日社説の「切迫感の発露」という見方には賛成だ。
朝日社説は書く。
「背景にある米国社会の分断は深刻だ。抗議活動が先鋭化し、警察や白人至上主義者との衝突に発展した例もある。だが街頭に出ている圧倒的多数は平和的な手段を用い、周囲にもそうするよう呼びかけてきた」
米国社会の分断は、どうやって解決するべきか。政治の力は大きいはずだ。トランプ大統領の責任は重い。世界を引っ張ってきたアメリカが自らの社会から分断をなくすことができれば、世界に広がった分断もその姿を消していくはずだ。
■いま問われているのは分断を生んだアメリカの政治
朝日社説は「人々を動かしているのは、黒人であるというだけの理由で警官が暴力をふるう事件が相次ぐ現実を、黙って見ているわけにはいかないという思いだ。それがうねりとなり、人種や世代を超えて広がっている。『スポーツ選手はただプレーしていればいい』といった一部の反応は、この本質をみていない」とも指摘し、「問われているのは人権の問題だ。まさに一人の人間として、アスリートが不正義に声をあげる行為を、封じることはできないし、封じるべきではない」と訴える。
朝日社説は大坂のマスクを人権問題に結び付けようとしているが、安易ではないか。沙鴎一歩はそんな朝日社説の論法が気になる。何かと言うと、人権を持ち出すのが朝日社説のよくないところである。
いま問われているのは分断を生んだアメリカの政治だ。分断の連鎖を断ち切ることができれば、人種差別も消えていく。分断をなくすことができるかどうかが、2カ月後の大統領選にかかっている。
■産経社説はストレートな見出しに比べて書き出しが分かり難い
次に9月16日付の産経新聞の社説(主張)を読んでみよう。
産経社説は前半で「途中で敗退すれば、全てを披露することはできなかった」と指摘し、「自ら課した動機付けを成就させた快挙である。見事というほかはない。スポンサーを失う恐怖もあったという。プレッシャーも大きかったろう。これを勇気と成長が克服させた。もちろん背景には、力と技術の裏付けがあった」と大坂なおみの行動を評価する。見出しも「大坂なおみ 快挙と勇気を称賛したい」とストレートで分かりやすい。
問題は書き出しである。
「モチベーションという言葉はスポーツ界が定着させた。単に『やる気』といった意味にも使われるが、本来の訳は『動機付け』である」
いきなり「モチベーション」という言葉の解説で始まり、読者はその唐突さに戸惑うだろう。なぜこの産経社説を書いた論説委員はこんな書き出しにしたのか。「自ら課した動機付けを成就させた快挙である」と「動機付け」を前面に押し出したかったのだろう。それにしても分かり難い書き出しだ。
■いつもの産経社説らしい力強さ、説得力のある主張がない
産経社説は指摘する。
「大坂はツイッターに『祖先に感謝したい。彼らから受け継いだ血が体中を巡り、負けるわけにはいかないと思い起こさせてくれたので』とつづった。それはハイチ出身の黒人の父、日本人の母、北方領土出身の祖父の血だ」
「自らのルーツに関わる怒りだけに周囲の共感を呼んだ」
産経社説のこの指摘のように、受け継いだ血に関わる人種差別の問題だけに多くの人々の心を揺り動かしたのである。
産経社説はこうも指摘する。
「差別への反対は普遍的な人権行動でもある。政治的、宗教的な主張・宣伝を禁じてきた大会主催者も、今大会では特例として大坂の行動を認めた」
「普遍的な人権行動」。15日付で1日早く書いた朝日社説を読んで、引きずられたのだと思う。これまで産経社説は「人権問題」を真正面から取り上げるようなことは少なく、これも唐突な印象を覚える。
産経社説は「アスリートは競技のみに集中して余計なことをいうな、といった批判は誤りである。選手にも、堂々と意見を述べる自由や権利がある」との指摘も、朝日社説の「『スポーツ選手はただプレーしていればいい』といった一部の反応は、この本質をみていない」に引きずられている。
いつもの産経社説らしい力強さ、説得力のある主張がない。残念な産経社説だった。
(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)
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