1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「ダブルスの女王」杉山愛がパートナー選びで重視するたった1つのこと

プレジデントオンライン / 2020年12月4日 15時15分

元プロテニスプレイヤーの杉山愛氏 - 撮影=原貴彦

現役時代は「ダブルスの女王」として名を馳せた元プロテニスプレイヤーの杉山愛さん。どんな基準でパートナーを選んできたのか。イーオンの三宅義和社長が聞いた——。(第2回/全3回)

■錦織圭の登場により世界で勝てる日本の若手が増えた理由

【三宅義和(イーオン社長)】大坂なおみ選手という世界的スーパースターを筆頭に、最近の日本テニス界は若い選手が国際舞台で躍進していますね。現状をどうみていらっしゃいますか?

【杉山愛(元プロテニス選手)】男子についていえば、本当に良い循環が起きていると思います。錦織圭君(ATPランキング41位。2020/11/16現在。以下同)が出てくるまでは日本人の男子選手がトップ100に入ることは奇跡のような扱いで、松岡修造さんくらいしかいなかったわけですけど、圭君がデ杯(デビス・カップ)などに出るようになって西岡良仁君(56位)や内山靖崇君(102位)、杉田祐一君(100位)など、若い選手たちが本当に良い影響を受けています。

【三宅】引っ張られる感じなんですか?

【杉山】自分のなかの「当たり前」の基準が上がるんですね。「この人が行けるなら自分も行ける」「トップ100はゴールではなく、トップ100で戦うのが当たり前だ」みたいな感じです。私の現役時代、女子のトップ100のなかに日本人が10人くらいいたんですけど、当時の私の感覚も「私と同じような体格の伊達(公子)さんがあそこまで行けるなら、自分もきっと行ける」と思っていたんですね。

【三宅】日本人のサッカー選手がどんどん海外に行く状況と似ている気がします。

【杉山】似ていると思います。

■成長のプロセスが実感できると楽しい

【三宅】テニスは4歳からはじめられたそうですね。

【杉山】はい。両親が趣味でやっていて、週末になるとテニスクラブに行っていたもので、「家族でテニスできれば良いね」というノリではじめたのがスタートです。当時は子ども用のラケットがなかったので、重たい大人用のラケットを引きずりながらやっていました。それ以外にもいろいろ習い事はしていましたけど、最終的にはテニスにのめり込んで、小学校2年生からはテニス一本。学校が終わってから3、4時間の練習を週4、5回するというテニス漬けの毎日でした。

【三宅】何かきっかけはあったのですか?

【杉山】プロテニス選手の養成で有名な、ニック・ボロテリー・テニスアカデミー(現IMGアカデミー)の日本校が、たまたま家から車で15分ぐらいのところに開校して入会が許されたんです。

【三宅】なるほど。本格志向だったわけですね。

【杉山】はい。その頃から「海外で活躍するプロテニスプレーヤーになりたい」という夢を持つようになっていて、スクールを掛け持ちしたり、自主的に練習をはじめたりするようになっていたんですけど、新しいテニスクラブに入ってみたら、仲間たちもみんなプロを目指している子供たちだったので、とても刺激になりましたね。

【三宅】環境は大事ですよね。では練習はあまり苦にならず?

【杉山】むしろ楽しかったですね。上は高校生のお姉さん、お兄さんがいるような中で、私が一番年下くらいで、みんなからかわいがってもらえたことも大きかったですし、自分がだんだん上手になっていく手応えを感じられたことも楽しかったですね。最初はスイートスポットの打球感が気持ち良いというところから始まって、そのうち打てなかったショットが打てるようになったり、友達とラリーが続くようになったり。どんなことにも言えますが、成長のプロセスが実感できると楽しいですよね。

■最初から目指していた「海外」と「プロ」

イーオン社長の三宅義和氏
撮影=原貴彦
イーオン社長の三宅義和氏 - 撮影=原貴彦

【三宅】最初から世界で活躍することを意識されていたわけですね。

【杉山】そうですね。当時は国内の大会がけっこう充実していたのですけれども、やはりグランドスラム(全豪、全仏、ウィンブルドン、全米)が夢だったので、小さい頃から目標として海外がありました。

【三宅】実際に海外でプレーをはじめたのは14歳から。

【杉山】大会に遠征という短期の形ではありましたが、18歳以下のジュニアの枠で14歳から海外経験を積ませてもらいました。遠征先はアジアの国々が多かったんですけれども、そこで成績が良かったので、15歳のときにジュニアの部門で世界1位になることができました。

【三宅】素晴らしい。

【杉山】ただ、私が目指していたのは「海外」かつ「プロ」だったので、ジュニアに対する執着はあまりなく、16歳くらいから大人の試合に出始めて、17歳でプロに転向しました。

■「この人とプレーしたら楽しいか」と考える

【三宅】プロ転向後も大活躍をされ、シングルスでは世界のトップ10。そしてダブルスではグランドスラム優勝4回、世界ランキング1位を取られています。ダブルスの強さの秘訣はなんですか?

【杉山】ダブルスのほうが成績は良いんですけれども、自分としてはシングルスのほうが優先順位が高かったんです。

【三宅】そうなんですね!

【杉山】はい。でもシングルスに重きを置いていたからこそ、せめてダブルスはツアーの中でも仲の良い選手と楽しい時間を過ごしたいというのがありまして、「この人と組んだら勝てるかな」ではなく、「この人とプレーしたら楽しいかな」ということを考えてパートナー探しをしていました。ようは「できるだけランキング上位の人と組もう」という発想ではなく、「できるだけ相性のいい人と組もう」という発想だったということです。結果的にそれが好成績につながったのだと思います。

【三宅】会社のチーム作りに通じる話ですね。優秀な人材をかき集めたからといって、そのチームが活躍する保証はない。

【杉山】そうかもしれません。もちろん私もすべてのペアでうまくいったわけではないですけれど、大体仲良い選手と組んでいるので、おそらく他のチームと比べて絆が深いというか、お互いの表情を見るだけでわかり合える信頼関係があるんですね。すると密度の濃いコミュニケーションや、目標に向かって考え方を合わせていくということがやりやすくなるんです。

■ダブルス世界トップの秘訣はパートナーシップにあり

【三宅】では逆に「ちょっと違うな」と思ったら、すぐに相手を変えるわけですか?

【杉山】そうですね。大会で好成績を残しても、その翌週に私から「ごめんなさい」をすることもありました。そういう意味では自分がランキングの上位にいたので、「選ばれる」のではなく「選ぶ」立場にあったことはラッキーだったと思います。

ただし、繰り返しますがランキングだけで相手を選ぶことはなくて、ダブルスは人と人とのコンビネーションなので、「合うか合わないか」が大切。私が相手を理解していて、相手も私のことを理解してくれている。そんなパートナーシップを模索しつづけたのがナンバーワンになれた秘訣かなと思います。

【三宅】素人考えで恐縮なんですが、2人でやっているとイラっとすることはないんですか?

【杉山】私の場合、それはあまりなくて、たぶんそこはダブルス向きの性格なのかもしれません。試合にミスはつきもので、お互いベストを尽くした上でのミスはOK。ましてや自分が選んだ人がベストを尽くした上で失敗しても気にしません。私もひどいプレーをすることもあるので、こればかりはお互いさまだと思っています。

■試合当日に実践していた35のルーティン

【三宅】あと、やはり杉山さんと言えば、フェデラー選手に抜かれるまでグランドスラムシングルス62回連続出場という世界記録を持たれていました。年に4回ですから約15年半。その間、大きな怪我をせず身体を維持できた秘密はなんでしょうか?

【杉山】ひとつは自分なりのルーティーンワークをつくったことですね。試合がある日は35個くらいあって、試合のない日も20個くらいありました。

【三宅】ルーティンが、ですか?

【杉山】多いですよね(笑)。朝起きたあとに30分かけて行う呼吸法に始まって、ジムに行ってもやるべきことを細かく決めていました。すると段々体が動きやすい状態になっていくので、1日の流れが大体でき上がるんですけれども。

【三宅】そういったルーティンは、どうやって決めていくんですか?

【杉山】「どうやったら自分のパフォーマンスを最大限引き出せるか。心身が整うか」というところからの逆算です。きっかけは25歳のときに経験したスランプで、そのときはテニスをやめたいと思うくらい気持ちも身体も追い込まれたんですが、それを機に自分の心と身体と真剣に向き合うようになったんです。

あとは純粋に自分の体のケアに関して、誰よりも時間とお金を割いてきた自負はあります。スランプを機にマッサージをする人も試合に帯同してもらうようになりましたし、スタッフ任せにするのではなく自分も自分の体と向き合いながらケアをするようになりました。

【三宅】なるほど。体の微細な変化にも気づきやすくなって、なおかつ改善意識が強まったわけですね。

【杉山】そうです。もうひとつ意識しつづけたのは「理にかなった動きの追求」です。私は身長163センチでテニス選手としては決して大柄ではないのですが、180センチ、190センチという選手たちと試合をしないといけません。ものすごいパワーに対して小手先で対処しようとしても限界があるんですね。どこかに負担がかかってけがをします。しかし、時速180キロのサーブがきたとしても、理にかなった動きをしてタイミングをちゃんと取れれば、実は体への負担はないんです。

【三宅】たしかにそうですね。私がやっている合氣道がまさにその世界です。

【杉山】そうですよね。ですから、「いかに身体全体を使ってボールに力を伝えられるか」みたいなところはとても重要で、そこはずっと追求を続けました。

■“自分の脳を騙す呼吸法”であがり症を克服

【三宅】大舞台で日頃の練習成果が出ないという人は多いかと思いますが、どんなアドバイスをされますか?

三宅 義和『対談(4)! プロフェッショナルの英語術』(プレジデント社)
三宅 義和『対談(4)! プロフェッショナルの英語術』(プレジデント社)

【杉山】私も当初はあがり症で、ビッグスタジアムや大きなショーコートでたくさんの人に見られていると、肩に力が入って負けることがよくありました。これを何とかできないかということで行き着いたのが、先ほど少し言いましたけど、呼吸法でした。塩谷信男先生の正心調息法というものです。

呼吸法をすることで自分の脳をだますと言いますか、良いイメージを上塗りしていくことによって「実際に起きたこと」というふうに脳に勘違いをさせるんですね。調子が悪いときや緊張したときは頭と身体がバラバラになっているような感覚が抜け切れないんですけれども、それを呼吸法でリセットしていいイメージで上塗りしていったら、本当に心身がいい方向に引っ張られたのです。

【三宅】具体的にはどのようなイメージですか?

【杉山】たとえば試合前日には対戦相手が決まっていますので、頭のなかでその選手と試合をしている場面をできるだけリアルに想像して、そのなかで自分の躍動感ある動きであったり、自分の得意なパターンに持ち込んでポイントを取って「よし」とガッツポーズをするまでの流れをイメージしたりとか、そういうことはしていましたね。

【三宅】かなり具体的ですね。

【杉山】なんとなく情景をイメージするだけでは、自分の記憶に眠っている「いい感覚」を引き出すことは難しいので、具体的であることは大事かなと思います。おすすめですよ。

イーオン社長の三宅義和氏(左)と元プロテニスプレイヤーの杉山愛氏(右)
撮影=原貴彦
イーオン社長の三宅義和氏(左)と元プロテニスプレイヤーの杉山愛氏(右)。衣装提供:Doubleface Tokyo,ABISTE - 撮影=原貴彦

----------

三宅 義和(みやけ・よしかず)
イーオン社長
1951年、岡山県生まれ。大阪大学法学部卒業。1985年イーオン入社。人事、社員研修、企業研修などに携わる。その後、教育企画部長、総務部長、イーオン・イースト・ジャパン社長を経て、2014年イーオン社長就任。一般社団法人全国外国語教育振興協会元理事、NPO法人小学校英語指導者認定協議会理事。趣味は、読書、英語音読、ピアノ、合氣道。

----------

----------

杉山 愛(すぎやま・あい)
元プロテニスプレーヤー
4歳でテニスをはじめる。17歳でプロに転向。シングルス492勝(優勝6回)、ダブルス566勝(優勝38回)、グランドスラムのダブルス優勝4回。ダブルスでは世界ランク1位に輝き、オリンピックにも4回出場。グランドスラムのシングルス連続出場62回の世界記録を樹立するなど、日本を代表するプロテニスプレーヤーのひとり。2009年に現役を引退し、現在は様々な後世育成事業を手がけるほか、スポーツコメンテーターとして活動するなど、多方面で活躍中。

----------

(イーオン社長 三宅 義和、元プロテニスプレーヤー 杉山 愛 構成=郷 和貴)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください