「年収1000万円から240万円に転落」介護と仕事の両立に戸惑う男たちの嘆き
プレジデントオンライン / 2021年3月21日 9時15分
※本稿は、津止正敏『男が介護する』(中公新書)の一部を再編集したものです。
■多数派は「ワーキングケアラー」
仕事と介護の緊張関係に直面しながら働く人は346万3千人。「2017年就業構造基本調査(総務省統計局)」が明らかにした数値だ。5年に一度実施されるこの調査の直近のデータだが、そのうち男性が151万5千人、女性が194万8千人。過去1年間(2016年10月~17年9月)で家族の介護のために離職した人は9万9千人に上った。
まず図表1の有業者視点から見れば次のようになる。
①働いている人の約20人に1人(5.2%)は介護している労働者である。
②働いている男性の4.1%、女性の6.9%は介護している労働者である。
③働いている50代の人の10.4%は介護をしている。
これだけでも無視できない大きな数字ではあるが、それでもまだ働いている人の中で介護する人は少数派だ。だが、これを介護者視点から読み取ると次のようにさらに驚愕の実態となる(図表2)。
①介護者の半数以上(55.2%)は働いている。
②男性の介護者の65.3%、女性の介護者の49.3%は今も働いている。
③生産年齢層の60歳未満の、男性介護者の85.1%、女性介護者の65.6%は働いている。50代の男性介護者の87.5%は仕事に従事している。
介護者の、とりわけ男性介護者の大多数はもうすでに有業者、介護しながら働いている「ワーキングケアラー」なのだ。
■介護者の中で男性は4割を占める
総務省の「2017年就業構造基本調査」では、介護をしている者は627万6千人で、うち男性は232万2千人(37.0%)、女性が395万5千人(63.0%)となっている。また同省の「2016年社会生活基本調査」では、普段介護している人は698万7千人で、男性が277万6千人(39.7%)、女性が421万1千人(60.3%)、介護者の中で男性はもう4割を占める、とされている。厚生労働省の「国民生活基礎調査」によると「同居の主たる介護者の3人に1人は男性」だが、これら総務省調査はそれをさらに上回る実態を示している。
さらに「2016年社会生活基本調査」では、介護者のうち調査当日に実際に介護・看護を行った人の数とその平均時間(行動者平均時間)を捕捉している。介護・看護時間の把握を開始した1991年以降、男性はおおむね横ばい、女性はおおむね減少傾向で推移しているが、2016年調査は男性が2時間32分、女性が2時間28分と初めて男性が女性の行動者平均時間を上回ったことが記されている。これまでになかったデータである。長らく稼ぎ手や長時間労働を背景に「ケアレス・マン」として家庭責任不在とされてきた男性たちの、介護実態から見えてくる変化である。
■旧態依然の介護政策に嘆く介護者
では、私たちの介護政策は「介護者の多数派は働いている」という実態を認識しているのであろうか。否だ、と即答したい。働きながら介護している人がいないわけではないが、主たる介護者の多くは介護に専念しているという、今では全くの幻想にすぎない介護のための豊富な家族資源の存在を前提とする旧態依然の介護政策がはびこっているのではないか。
上記のような介護者の大多数は有業者という介護実態と、いざ介護が始まれば介護に専念できる家族の存在を標準とする政策的前提との狭間で、「ワーキングケアラー」たちの仕事と介護の両立の困難さは極まってくる。介護者の嘆く声を拾ってみよう。
図表1は有業者総数に占める介護する人の占める比率はどれくらいになるか、図表2は介護する人全体の中で有業者数はどれくらいいるか、という視点でこの調査のデータを再構成したものだが、驚きの実態が浮かび上がる。
図表3は私たちが2006年に行った男性介護者への調査(『男性介護者白書』に所収)に記録された「一人で親を介護する息子たち」の仕事と介護をめぐる実態である。
■「外出すると気になり、かえってストレスになる」
介護のために退職した人が2人いるが、そのうちの1人は「介護が始まって1年くらいでクビになった」(49歳、広島県)という。常勤だが介護休業など「取っていない。会社ではそういうものは取らせてくれない」(56歳、大阪府)と憤る人もいる。仕事と介護の両立をなんとかこなしているが厳しい。「時機を見て退職し、介護に対応して、時間的なゆとりを確保したい」(58歳、沖縄県)との声も介護退職に敷き詰められたレールのようだ。
働きながらの介護によるストレスも大きい。たまには一日ゆっくりしたい、2~3日でいいからのんびりしたい、一日中家事をするわけではないが100%自由な時間がなくなった。「自分の自由に使える時間が無くなったが、逆に被介護者を一人にして外出すると気になりかえってストレスになる」(59歳、愛媛県)と訴えている。
■「年収1000万円が240万円になった」
家計も苦しい。「年収1000万円が240万円になった。会社が倒産しそうになっている」(49歳、青森県)という自営業の息子。介護で泊りがけの仕事ができなくなるなど仕事の自由度が低下したためだ。「今は父の年金で暮らしている。〔月収は〕約20万円」(59歳、愛媛県)という息子は、私たちの取材に対して、父の介護がなくなれば年金を失う、年金で暮らすということはずっと介護を続けるということ。どちらにしても苦しいよね、と呟いていた。
これらのデータは2006年時のものであるが、親の介護を担い仕事との両立に戸惑う息子たちの暮らしは、今もさほど変わらぬ状態にあるのではないかとも推測されるがいかがだろうか。介護が始まって、介護サービスを利用しながら、他の家族の支援を受けながら、自らを叱咤激励しながら、仕事と介護をかろうじて両立。しかし、介護者自身の体調不安や職場の無理解、被介護者の状態悪化などその他諸々の環境が刻々と変化する状況のなかで、不安はより増殖してついには離職を余儀なくされる。そうしたプロセスが、この5人の息子たちの事例からもうかがえる。
■「電車の中で献立を考える」妻の介護と主夫業をこなす男性の声
前項に記してきたような仕事と介護をめぐる厳しい環境は、おそらく今も昔も変わらぬ実態として存在しているに違いない。が、同時に忘れてはならないこともある。いま政府自らが「介護離職ゼロ」を経済の成長戦略の一つに位置づけ、経済専門誌がこぞって介護の大特集を組み、さらには私たちの「介護退職ゼロ作戦」や「介護離職のない社会をめざす会」という新しい介護運動も登場するような時代の変化も生まれているということだ。
今も変わらぬ厳しい実態の確認とともに、新しい変化の兆しにも丁寧に目を向けていくことが必要だと思う。これらの変化を「仕事と介護」が両立し得る社会を牽引する時代の典型として見た場合、どのような意義を有するかについて少し考察してみようと思う。
次に示す事例は、男性介護ネットが刊行した『男性介護者100万人へのメッセージ』第2集(2010年)に寄せられた一文をもとに、私の責任で要約したものだ。
〈妻の認知症発生から7年、いま「要介護4」のほとんど全介助の状態だ。1年半前からデイサービスを利用しながらなんとか仕事を続けてきた。デイの迎えが来る前は分刻みの忙しさだ。早くに起床し、朝食の準備、食事、片付け、着替え、歯磨き、洗顔、化粧。その間に何度もある妻の「トイレする」の訴えには「丁寧に!」「焦るな!」と言い聞かせている。
デイのお迎えと同時に自分は出社する。終業時間は、デイサービスの終了(午後5時)に合わせて、2時間の休暇を取って早退している。会社には何かと迷惑をかけている。早くから妻の若年認知症のことを告白していたのだが、会社や同僚の理解と協力があってこそだ。帰宅したら、慣れない主夫業。電車の中で献立を考え、買い物して調理。調理していると、「お父さん、疲れない?」「私ができないからね」と妻。「お父さんの美味しいよ」という言葉に疲れも吹き飛ぶ。〉(福本「仕事と介護そして主夫業」より)
■1時間の通勤時間が束の間の“休息”
間もなく定年を迎える福本さんは、介護に奔走しながらも1時間の通勤時間を束の間の“休息”時間としてなんとか仕事をこなしていた。屋内徘徊がエスカレートして、さらには壁やドアを激しく叩き出すこともあってそんなときにはもう朝まで寝ることはできない。それでも仕事は休めない、とつらさを吐露する場面も記してあったが、「私もつらいけど、本人はもっとつらいのです」と妻に寄り添う。
十分とは言えない職場の支援や介護サービスの環境ではあったに違いない。それでも、仕事が介護ストレスを軽減してくれ、また介護がこれまでとは違う妻との新しい関係を実感する場にもなった、とも言う。「働きながら介護する」ということにこれまで尊重されることもなかったような働き方、生き方の豊かなモデルが内包されていると思うのは私だけではないはずだ。とりわけこの事例が示している働きながら介護するという「ながら」の介護の持つ今日的な意味について補足しておこう。
■仕事をしながらの介護は、介護漬けにならずにすむ
私は、この「ながら」介護が一般化している実態を把握した当初には、あれもこれも同時にこなさねばならぬ介護の困難さを強調する意味で「ながら」介護という概念を使ってきた。しかし、先の事例を目にしてその考えは全く一面的であると考えるようになった。
確かに、介護に専念する家族を選択し得ない状況からすれば仕事も介護も家事もという生活全般を一手に担わなければならない、という意味においては「ながら」介護は困難さの象徴であるかもしれない。ただ、この「あれもこれも」も同時に担うという介護生活の神髄は、困難さというだけではないということをこの事例は雄弁に語っている。
端的に言えば、仕事と介護の両立が可能な環境とは、24時間365日介護漬けにならずにすむという新しい介護生活の可能性を切り拓いているのではないか、ということである。仕事の継続が介護から離れるための根拠になって、自分専用の環境(時間・仲間・役割・収入など)を誰憚ることなく享受することを可能としているのだ。介護する人という役割のみを背負うのではなく、一人の市民として生き切ることを可能とする環境を求めることの正当性だ。福本さんの体験記に記された言葉にいま一度耳を傾けてみよう。
■「定年までもうすぐだよ」という同僚の励まし
この体験記には、若年認知症を患った妻の症状を職場に早くカミングアウトし、SOSを発してきたことが同僚の理解と支援につながったとも記してあった。妻の症状が重篤化し、一人にしておけなくなったとき「もう辞めよう」と思い悩んだのだが、「定年までもうすぐだよ」との同僚の励ましで、やっと利用を始めたというデイサービスなど介護サービスの豊富化やその利用効果も両立を後押ししてくれた。適切な配慮があれば「辞めなくてよかった!」ということなのだろう。
あと2カ月で定年。彼はもちろんだが、彼を定年まで支えることができた職場の同僚の「万歳」の声も聞こえてくるような胸が熱くなる一文だ。「あれもこれも」同時にこなさなければならない困難さと同時に、その辛さを潜り抜けた向こう側には仕事を続けることができるということが24時間365日介護漬けにならなくてもいい真っ当な根拠として誰からも支持され歓迎される新しい時代もまた始まっているのだ。
2018年の夏、私は彼の後日談を聞きたくて熊本まで出かけてきた。彼は67歳、妻は65歳になっていた。「通勤時間の1時間が一番ゆっくりできる時間」という過酷な毎日を潜り抜け、無事に定年を迎えたという。妻はもうベッドでの全介助、寝たきりの毎日だが、介護のある暮らしはゆっくりと続いていた。
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立命館大学産業社会学部教授
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学大学院社会学研究科博士前期課程修了。社会学修士(立命館大学)。専門は社会福祉、地域福祉。京都市社会福祉協議会に20年間勤務したのち、研究職に転じる。著書に『ケアメンを生きる』など。
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(立命館大学産業社会学部教授 津止 正敏)
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