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「このまま入院すれば家に帰れない」子供3人と過ごすため"即入院"を拒否したがん女性のその後

プレジデントオンライン / 2022年1月21日 11時15分

ケアマネージャーの吉野清美さん

もし現役で働くあなたが、ある日突然がんであることが判明し、医師から「助からないかもしれない。家には帰せない。即入院」といわれたら、どうするだろうか。医師の言う通り「そのまま入院」の道を選ぶか、それとも「助からないからこそ、家で過ごす」のか。もちろん正解はない。吉野清美さん(54)はその時、「家で過ごす」ことを選んだ――。(第8回)

■介護保険創設と同時に「ケアマネージャー」に

ケアマネージャーの吉野清美さんは20代の頃、看護師として病院に勤めていた。

消化器内科へ配属となり、助からない患者が治療に苦しむ様子や、壮絶な最期を目の当たりにしてきた。多くのがん末期の患者が「家で過ごしたい」と言う。それなら「家に帰してあげたい」と思い、吉野さんは在宅を支える訪問看護ステーションに転職した。さらに2000年、介護保険創設とともにケアマネージャーの資格を受験し、合格する。

在宅に関わる職種として訪問医、訪問看護師のほか、食事や入浴などの生活支援を行うホームヘルパー、そしてケアマネージャーがいる。ケアマネージャーは「要介護認定を受けた人」に必要なことを見極め、医療従事者をつなぎ、各種介護サービスも利用できるように患者(利用者)の全般的な支援を行うのが仕事だ。

「訪問看護師の場合は週何回、何時間訪問と、要介護度などに応じて定められますが、ケアマネージャーは利用者さんと月決め契約し、支援を行います。ですから業務範囲も人によってさまざまで、仕事も無制限に増えやすいですが、私は看護師よりもケアマネージャーのほうがフリーで動けて楽しいと感じました。お医者さんや看護師さん、ヘルパーさんは利用者さんと“治療やケア、家事をしながら”話しますが、私は目と目を合わせて話を聞くのが仕事です。“困った時の雑用係”ともいえますが(笑)、雑務のなかから見えてくるものがあるんですよ」(吉野さん)

■47歳の時、突然、道端で倒れた

たとえば、

(床がゴミで埋まっているのにダスキンのモップを毎月交換しているのは、この人に会いたいからなんだな……)
(これがこの人の大切な物なんだ)
(寂しいからヤクルトの配達を頼んでいるんだな)

などということが日常生活から見えてくるのだという。

さまざまな利用者と関わり、ケアマネージャーとしてのキャリアを10年以上積んだ頃、吉野さんはある日突然、道端で倒れた。今から7年前の年末、47歳の時のことだった。

「貧血性のショックでした。あとから検査で、正常値の半分くらいのヘモグロビン濃度(貧血の目安となる値)であることがわかりました」

■「先生、私は年明けまで生きていますか?」

「実はその日の朝、トイレであれっ、色がおかしい、下血しているかもしれないという気がしたんです。今思えば、その前夜に忘年会でアルコールを飲んだので、刺激になったのかもしれません。とはいえ年の瀬で忙しくしていた時だったので、その日は普通に仕事に出かけたんです。そしたら倒れてしまって、道ゆく人が救急車を呼んでくれました」

だが救急隊員が近隣の病院に連絡しても、年末のためどこの病院も通常診療を受け付けてくれない。行き先の病院が見つからず、救急車の中で時間だけが過ぎていく。しばらくして血圧などの状態が落ち着き、吉野さんは「自分で病院を探します」と救急隊員に告げ、救急車を降りた。

そして医師会が運営する休日診療所を受診し、「大きな病院に紹介状を書いてほしい」と頼んだ。

医師からはこう言われた。

「見た目、元気そうじゃない。大丈夫でしょう。年明けの受診にしたら?」

吉野さんはしばらく考えて、医師の目を真剣に見つめた。

「先生、私は年明けまで生きていますか?」

■「自宅には帰せない、すぐ入院して絶対安静」と言われた

すると医師がしぶしぶ紹介状を書いてくれたという。

「その時は脈も速いし、(体の中で)出血しているんだろうなと思っていました。その後、大きな病院で採血をしたらひどい値で、その日のうちに内視鏡検査をすることになりました。案の定、胃から出血していて……。消化器内科に勤めていましたから、画像を見て、胃がんで、それもすごく悪い状態だとすぐにわかったんです。先生もストレートに告知してくださいました。外科の先生からは『もううちには帰せないし、すぐ入院して絶対安静だ』と言われたのですが、私はケアマネージャーの仕事があり、たくさんの利用者さんを抱えていたので、『家に帰って仕事を片付けたいです』と言いました。すると内科の先生が『帰っていいよ』と許可してくださったんです」

その年末年始、吉野さんは猛烈な勢いで抱えている仕事を片付けた。自分が担当している利用者(患者)をすべて別のケアマネージャーに申し送りをしたという。

年明け、胃の全摘手術を受けた。そして1カ月の入院を経て帰宅した。

■病院では「レールの上に載せられて、さばかれていく」

「転移はなかったのですが、非常に悪い状態だったので、知り合いの先生から『吉野さん、今年の夏までもたないんじゃないの?』と言われました。その時、私には高校2年生の子、中学3年生の双子がいて、まずは中学生の子供たちの卒業式を見届けよう、それから高校生の子供のため大学受験の準備をしようと決めて、家で過ごしながらやることをどんどん進めました」

夏が過ぎたら、今度は次の目標を立てて日々を過ごす。気づいたら、それから7年たっていたという。その間、「来年はないかもしれないから」と、いつも一年早く動いていたのだ。

「病院ではやりたいことや仕事はできませんよね。だから家に帰りたかったですし、たとえやることが終わっても、子供との生活、飼っている犬や猫の世話がありましたから、病院にいるのは嫌だと思いました」(吉野さん)

病院では“レールの上に載せられて、物のようにさばかれていく感じだった”という。

■あの時、「私、家に帰ります」と言えてよかった

「医療従事者は身体面だけでなく、もう少し全人的に患者さんを診るべきです。そして患者さんも、もっと自ら『こういう生き方をしたい』と医療者に言ったほうがいい。7年前に自分が倒れた時、『年明け受診では間に合わないかもしれない、今日受診したいです』と言わなかったら、私は死んでいたかもしれません。胃がんとわかって医師に勧められるまま入院して二度と家に帰れなかったら、後悔が残る人生だったと思います。あの時、『私、家に帰ります』と言えてよかった。自分の思いをきちんと伝えることが大切だと思います」

ケアマネージャーの吉野清美さん。移動にはバイクを利用している。
ケアマネージャーの吉野清美さん。移動にはバイクを利用している。

家で死ぬことの良さは、患者本人は「やりたいこと」ができることだ。そして看取る側の家族にも良さがある。それは「やりきった感」があること。

訪問看護師として15年のキャリアがある宮本直子さんは、難病の女性を支えた家族が心に残っているという。

「お母さんは50代半ばの女性で、全身性エリテマトーデスという難病を患っている上、がんを発症しました。家で看取るかどうかご家族に迷いがある時期、私は娘さんにこう尋ねたんです。『お母さんは娘におせち料理の味付けを教えたい、まだやり残したこともある、家にいたいと言っていたよ。どうする?』と。するとご主人と娘さんが『がんばる』と答えてくれたので、おむつのあて方なども含めて在宅での生活を教えました」

■意識レベルが低下したはずなのに、座ってしゃべっていた

大学病院から家に移り、2カ月ほどたった時、その女性は徐々に衰弱し、やがて意識レベルが低下した。宮本さんは今日明日に亡くなるだろうと予想した。

看護師の宮本直子さん
看護師の宮本直子さん

「お母さん、昨日と今日の様子がぜんぜん違いますよね。明日まで元気だったら、びっくりしてしまうかもしれない。何かあればいつでも呼んでください」

宮本さんは、死期が近いことを夫と娘にそうやんわりと伝えた。そして訪問医にも状況を電話で報告する。

翌朝、宮本さんが再びその家を訪れると同時に、女性は意識がなくなり、30分ほどで亡くなったという。

「でもその前日、私が帰った後に、意識レベルが低下したはずのお母さんが座って普通にしゃべっていたというのです。甥っ子さんがたずねてきて、彼女がバイバイと手まで振っていたと聞き、驚きました。ご家族もそのような状態まで復活したので、翌日亡くなるとは思わなかったそうです。でもご主人が『病院じゃなくて家で看られてよかった』と。お嬢さんも『在宅で介護するのが楽しかった』と言ってくれました」

■亡くなる4日前までお風呂に入れただろうか?

訪問看護師の小畑雅子さんは4年前、義兄の宗治さんの在宅療養を看護という立場で支えた。宗治さんは末期がんを患っていた。当時を振り返って小畑さんはこう言う。

「私の姉と、子供たち3人がシフトを組みながら、仕事と宗治さんへの介護を両立していました。家で亡くなった宗治さんが、もし病院で最期を迎えていたら、亡くなる4日前までお風呂に入れただろうか? と思い返します。家にいたからこそ、『好きな音楽を聴きたい』『みんなと食卓で食べたい』『家の風呂に浸かって楽になりたい』『横になりながらでも息子に仕事を教えたい』といった希望を全て叶えることができました」

亡くなる4日前までお風呂に入れた故・水口宗治さんとその家族
亡くなる4日前までお風呂に入れたという義兄の宗治さんと家族

宗治さんの妻も今回、コメントを寄せてくれた。

「今にして思うのは、夫は62年の生涯を自分流に生ききったかな……ということ。家にいたから、それができたと思う。そして家族は最期を看取れて、『見送った』と実感できたと思っています。家で死ぬことが良かったかどうか、本当のところは本人、宗治さんに聞いてみないとわからないけれど、少なくとも私は家にいてくれてありがたかった。看取らせてもらえて感謝しています」

自分たちの手で見送ったという家族の満足感と、自分が思うままに過ごせる本人の幸せ——家で死ぬことの良さはそこにある。

だがもちろん「家で死ぬこと」は家族の負担や覚悟も求められる。次回は、コロナ禍で夫を家で看取った妻の思いに迫りたい。(続く。第9回は1月22日11時公開予定)

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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)など。新著に、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)がある。

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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)

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